ジャック・ル・ゴフ:子どもたちに語るヨーロッパ史

子どもたちに語るヨーロッパ史 (ちくま学芸文庫)

子どもたちに語るヨーロッパ史 (ちくま学芸文庫)

中世史家である著者が、おもにヨーロッパに暮らす子どもたちに柔らかく語りかけるようにして書いた、「ヨーロッパとはなにか」ということについての本。また、本書の半分くらいのボリュームで「子どもたちに語る中世」が併録され、こちらは一問一答形式ながら、同様に優しく語りかける口調で中世が説明される。


建築の勉強をしていると、「西洋建築史」「近代建築史」「日本建築史」のような、よく考えてみれば驚くべきほど大ざっぱかつ広大なフィールドにまたがる分野を勉強することになります。中学・高校と必修で世界史、選択で日本史を勉強したのだけれど、なぜかさっぱり世界にうとい僕には、一方で建築から歴史に切り込むという視点はとても斬新なものに写りました。特に西洋建築史において、初期キリスト教建築からロマネスク、ビザンティン、ゴシック、ルネッサンスなどへと展開していく過程は、「歴史」だけを勉強していたのではけっして覚えることができなかった。


しかしいっぽうで、僕は地理的感覚において極めて乏しいらしく、どんなに地図を見てもフランスがどの場所にあるのか、北欧諸国ってどこなのか、スペインってどのあたりにあるのかなど、おそらく小学生的常識すら覚えることができません。本書を手に取ったのは、これを読めば文脈として、また構造的にヨーロッパを理解できるかも知れない、と思ったからです。僕は一対一対応で物事を覚えるのが極めて苦手なもので。しかも「子どもたち」のために書かれたものですから。


さて、内容はと言うと、基本的に「ヨーロッパ」に住む子どもたちに、「ヨーロッパ」とはなにかということについて、歴史的な成立過程と言うより、「どうなの?どうなの?」という疑問を次々と繰り出し、答えをちゅうぶらりんにしたまま歴史や地理、宗教などの多くの要素を幾分雑ぱくに思える形式で語りながら、総体的にイメージさせることを目指したものと読めました。全体的な流れとしては、ローマ帝国が作り上げた土台にキリスト教が侵入し、またそのキリスト教は東西に分裂し、ギリシア語の世界とラテン語の世界が生まれることになります。また中世には、主に異民族の流入によってフランス・イギリスなどの国民国家の基礎が成立し、イタリア・ドイツは国民国家としての成立が遅れた、つまり新しい国家であることなどが解説されます。


一方で、やはり太古より「ヨーロッパ」という統一的な経済・文化圏が存在したことを、著者は常に強調します。例えば哲学を勉強するのであればパリに、絵画を勉強するのであればローマへといった、広域的な文化圏が中世より存在していたことを著者は説明します。また、基本的にはヨーロッパとは海岸線を多く持ち、また恵まれた大地を持つため、交易や農業など多くの面で恵まれた側面を持ち、それが小さな面積の割には豊かな文化を形成することを可能にさせたそうです。


このような相対的にヨーロッパを位置づける努力を続ける一方で、著者はヨーロッパの忌まわしき過去に触れることも躊躇しません。例えば十字軍によるムスリムへの攻撃、ナポレオンによるヨーロッパ統一の野望、ヨーロッパ諸国によるアフリカの支配、そして第1次・第2次世界大戦という悲劇。これらのことごとを、大きな反省を込めて子どもたちに丁寧に説明する著者の姿勢には、とても共感するところを感じました。


本書を手に取ったヨーロッパの子どもたちが何を感じるのか、僕にはうかがい知ることができないのですが、おそらく国民国家という枠組みがそれほど強固なものではないこと、ゆるやかにつながりつつそれぞれの価値観を相対化することの価値を、何となくつたえることに著者の思いは存在したように思えます。ひるがえってアジア的文化圏を考えると、このようなアプローチができないものか、考えさせられてしまいます。少なくとも、中国を中心とした「アジア的文化圏」は間違いなく存在し、そのなかで近代以降急速に国民国家が作り上げられてきたという意味では、ヨーロッパ以上に「アジア」という世界はつながりをもって理解することができるはずだ、そしてそれは経済共同体のような限られた分野だけではなく、むしろ多くの要素を共通に持ちながら、それでも地理学的・宗教的な特性によってそれぞれの地域が独自性を持っている、そのようなゆるやかな枠組みで理解できるのではと、本書を読みながら痛感させられました。でも、ようやくヨーロッパというものの存在を体系的に理解できたように思います。こうすると、どんどんいきたくなってしまうのが困ってしまうところです。あと数年は、ヨーロッパ旅行は無理かなあ。。。余裕ができたら、是非イタリアの北部からオーストリア、ドイツ、チェコハンガリーあたりを旅してみたいものです。