宮田律:南アジア 世界暴力の発信源

南アジア 世界暴力の発信源 (光文社新書)

南アジア 世界暴力の発信源 (光文社新書)

アフガニスタンに象徴される、いまや「テロリストの温床」とさえ呼び称される南アジアの歴史を丁寧にひもといたもの。副題は「世界暴力の発信源」とありますが、むしろ「世界暴力の受信地」としたほうが、本書の内容を正確に表しているように思います。


本書は基本的にアフガニスタンパキスタン、そしてインドの近代以降の政治的動きと現状を、主にアメリカとソ連を中心とした政治力学の中で読み解き、現状とこれまでの道のりを、冷静に分析したものといえます。イスラエルパレスチナの問題を考える上で、もう少し中東や南アジアの宗教・政治的状況を概要だけでも知りたいと思って手に取った本書ですが、極めて分析的かつわかりやすさ優先とも思える描写の数々に、蒙を啓かれたことはもちろん、暗澹とした気分にさせられるものでした。


僕の南アジアの知識と言ったら、インドから宗教的な理由で東西パキスタンが独立し、その後パキスタンバングラディシュに分裂したというくらいしか知識がなく、アフガニスタンについては場所もどこか良くわからないといった程度でしたが、ようやくいくつかの事柄が納得できました。まずアフガニスタンについてですが、南部から東部に多く住むパシュトン人やペルシャ語を話すタジク人、そしてチンギスハーンの征服王朝期に移住したと言われるハザラ人など、そもそも民族的に混淆した世界だとのことです。そしていくつもの王朝からの征服をうけたものの、1747年に独立を果たし、近代国家としての枠組みが成立します。しかしその後はソ連アメリカ、インド、パキスタンなどとの地政学的不安定関係に翻弄され、いまにいたるまで安定した統治環境が存在するとは言えません。宗教的には基本的にはイスラムですが、独自の王朝を作り上げた経緯もあり、周辺国家とのイスラム教の受容のされ方にはある程度の違いがあるとのことです。


次にパキスタンについて。これはイギリス統治下にあった英領インド帝国の北部にムスリム国家を作るという、なにかイスラエルの建国にも似たプロセスを経て誕生した国家と言えます。1947年に独立を果たしたパキスタンですが、当初より東西パキスタンという分断国家として成立するという困難や、多くの資源をインドに頼っていたため経済的に困窮が続くという、苦難の道のりを歩まざるを得ません。また、ソ連の進行を食い止めるための橋頭堡としての役割をアメリカから担わされることになり、多大な軍事援助を受けることになるのですが、これが国内外の政治的バランスに大きな混乱をもたらし、現在まで尾を引くこととなります。


最後にインドについて。これは英領インド帝国から独立をしたヒンドゥー国家としての性格が一番大きいとは思うのですが、一方でパキスタン独立に見られるように、インド内にもヒンドゥー以外の様々な諸宗教が存在し、特に第二次世界大戦で大きな犠牲を払うこととなったシーク教徒は、ヒンドゥー中心の施策に大きな不満を持つようになります。この動きに対し、インド政府は1984年に「黄金寺院」を襲撃、多くの犠牲者を出すという事件を起こします。現状は、ヒンドゥーナショナリズムの大きな高まりの中で、民族浄化主義的な動きが強く見られるようになります。


この一連の流れを読みつつ強く感じるのは、やはり近代国家の枠組みと民族・宗教というものの、本質的な断絶感です。行政単位としての国家を否定するわけではありませんが、その成立に至るまでの道程があまりにも暴力的で、常に生み出されるマイノリティーと彼ら・彼女らに対する差別の構造が、ラディカルな反体制闘争を生み出すとともに反動的な政策を導いてしまう。しかも、これら一連の動きは現在進行中のものなのです。特に、どの国家も分裂した社会に対する危機感の中で、本質主義的な政治的動きが顕著になっているという現状は、危惧するべきと言うよりそこに存在する危機それ以外の何者でもありません。


著者は、最後の「日本が果たすべき役割は何か」と題された章で、このような状況に他国・他民族が乗り込む事への現地人の強い反発感と、日本が行ってきた、そしてこれからも行うことのできる人道的支援の重要性を強調します。これは、現地の文脈を考えずに場当たり的に対策を打ち立ててきたアメリカ的方策に対する、鋭い批判ともいえ、現状で議論されているアフガニスタンに対する支援策にも、大きな示唆を与える提言となっています。しかし、中学高校と世界史の授業は受けてきたつもりなのに、なんと新たな発見が多いことか、呆然とする思いがする一冊でした。これは、よく考えてみれば「歴史」の教科書は、現在規定されている「国境線」を前提として、それに至るまでの道のりをかなり単純に描いてきたからではないか。むしろ、本質的にはそこでの民族・宗教的な状況の方が、近代国家として規定された国境線よりも重要であり、本来追うべき道筋なのではと、強く考えさせられました。