法月倫太郎:ノックス・マシン

端正な論理の美しさの結晶のような推理小説作家である法月倫太郎氏が、果敢にもSFに挑戦した中編集。2058年、タイムトラベルの試みが次々と失敗し、その根本の原因に「ノックスの十戒」があると知らされた「数理文学解析」を専門とするしがない中国人オーバードクターユアン・チンルウが、その謎を解くために帰還の可能性が著しく低い過去へのタイムトラベルに志願する「ノックス・マシン」、「ワトソン役」の人々の互助団体「引き立て役倶楽部」が、「ワトソン役」を「軽んじる」アガサ・クリスティにしかけた陰謀の顛末を描く「引き立て役倶楽部の陰謀」、サイクロプス人の奇妙な世界に取り込まれた地球人工作員が、分裂した自己との「反転した書き文字」による曲芸的なやりとりによってとらわれの状況から脱出を試みる「バベルの牢獄」、高名な数理文学解析学者の娘がライブラリ上の文学データが次々と「焼失」してしまうという現象の謎に挑む、「ノックス・マシン」の後日談とも言うべき「論理蒸発ーノックス・マシン2」の、4編収録。


あの法月倫太郎氏による中編SF集という、たいへんな異常事態とも言える本書なのですが、読み終わってみるとそれほどに違和感はなく、むしろこれまでの法月氏の作品にもどこか通底するような雰囲気が色濃く感じられ、SFとミステリというジャンルの親和性、もしくはジャンルというラベルは物語の面白さに対してまったく本質的ではないということを感じさせられる、とても清々しいものでした。


それは法月氏のことですから、これでもかという論理に対するオブセッションはいつもながらであることを言うまでもなく、(おそらく)創作における多大なトライと後戻り、そして膨大な取捨選択の試みの結晶とも言える物語たちが、なぜか物語の登場人物にも映し出され、異様な複雑さと多相性を醸し出している雰囲気もいつもながらなのですが、徹底的に非現実的なシチュエーションでも変わらず登場人物たちの悩みがある種の日常性を帯びているのが、また心強い。


月氏は、シリーズのミステリ小説で著者と同姓同名の小説化にして名探偵が、小説を書けずに四苦八苦するというシチュエーションのもとにこれまで傑作のみを排出してきた、たぐいまれなる作家だと思っております。そこでの面白みは、主人公である小説化にして探偵の倫太郎氏が出くわす状況は徹底的に非日常的であるにもかかわらず、創作活動に行き詰まる姿はなにか日常的な、というか直裁に言えば著者本人の苦しみが投影されているような雰囲気があり、そのギャップがとても物語に力づくの臨場感を与えているように思っておりました。


しかし本作はSFの文脈で書かれ、法月氏の創作への悩みが開陳されることはありません。しかししかし、それでもある種の臨場感と(良い意味で)泥臭さが感じられるように思います。それは、例えば「バベルの牢獄」において特に感じられた技巧的すぎる物語の構築のありようが読み手を作家が物語を生み出す苦悩に近づけてしまうのか、または「ノックス・マシン」「論理蒸発」で示される異様なまでの「ノックスの十戒」に対する分析の行程が読者に現実の世界を意識せざるを得ないのか、はたまた「引き立て役倶楽部」に登場するアガサ・クリスティの謎の行動が、あの有名な失踪事件に見事に重なるためなのか、どうなのかなあと考えていたのですが、いずれにせよSFというある種設定には文句がつけようのない世界で、ここまで世界のありようにこだわる著者の態度に、いたく感心させられるとともに、あきらかに「普通」ではないSFの世界を堪能させられ、あまりこれまで経験したことがない不思議で素敵な読書体験を得ることができました。


などと考えながら読み終わり後書きを読むと、やはりずいぶんと著者はこの試みに難儀し、また創作作業自体が「メタ創作」とも呼ぶべき入れ子的な状況を呈したように感じさせられました。この、つねに自らを省みながら創作を続けてゆくという法月氏の「批評的」創作の結果が、物語の多層性と世界の広がりを担保しているのではと思うのですが、同時にこの後書き自体も「メタ後書き」なのではと思わざるを得ないくらい、物語には「理に落ちた」感がなく、とても力強い。この後書き、どれほど時間をかけて推敲されたのか、そもそも虚構なのではないか、そんなことまで考えてしまう楽しみがあるのも、また法月氏の小説ならではのことでしょう。