小野不由美:風の海 迷宮の岸 十二国記

風の海 迷宮の岸 十二国記 2 (新潮文庫)

風の海 迷宮の岸 十二国記 2 (新潮文庫)

十二国の中心に位置する金剛山女仙のみが住む神の山は、久しぶりの麒麟誕生の兆しに沸き立っていた。麒麟の「成る」神木には、麒麟の世話をするための妖獣も実り、あとは10月の成熟期間を待つばかり。しかし、突如として発生したこの世と蓬莱、すなわち人間の住む世界との接触であるところの「触」が起こり、麒麟の卵は人間の世界に流されてしまう。悲しみにくれる神仙の世界とは遠く隔たった人間の世界で、その後人間として育てらた麒麟は、なぜかまったく環境に受け入れてもらえない。そして10年後のある日、発見された麒麟は神仙の世界に呼び戻され、麒麟としての自我と能力の欠如、そして王を選ばなければならないという運命の前に、途方にくれてしまう。


十二国記第二話となる本作では、前作とはうって変わって主人公は麒麟、しかも幼少期を人間の世界で育ってしまったため、麒麟としての自我はおろか持つべき技量や才能もまったくもたないという、大変困った状況に置かれています。しかし、これはよく考えれば第一話の陽子と同じような境遇とも思えるのですが、第一話では陽子は物語の終盤まで自分が誰だかわからず大変苦労するのに対し、本作では麒麟麒麟として早々に認められ、だからこその苦労に直面します。


しかしまあ、物語の楽しさを僕がどこに感じているのか、日頃は意識して読書しているわけではありませんが、本シリーズのような破格の物語を読んでいると、つらつら考えさせられます。それはおそらく、物語が作者の手を離れて好き勝手に振る舞い出すような、誰にも予想できない瞬間のようなものが頁から感じられるときのように思います。本作だってえらく精緻に作り込まれているのだけれど、なにか読んでいると「麒麟といういきものは、いったい何を感じ何を考え、そしてどうやって主人を選ぶのだろうか」と作者が考えながら、逐次物語を練り込み切り刻み、そこに思わぬ断面が現れたような、そんな勢いと思い切りの良さのような、アドリブ感がとても心地よい。


そんなことはどうでも良いと言えばどうでも良いのですが、本書の白眉は最後の最後まで麒麟は悩み続け、このまま悩み続けていると物語が終わってしまうと本気で読み手をどきどきさせるところまで、この悩みは続きます。最後には一応のハッピーエンドを迎えるのだけれど、悩みは終わること無くもやもやっと続いてゆく、このあたりの割り切れなさも、またしみじみ良いのです。