川瀬七緒:147ヘルツの警鐘

147ヘルツの警鐘 法医昆虫学捜査官

147ヘルツの警鐘 法医昆虫学捜査官

あるアパートの一室で女性の焼死体が発見されるが、彼女の体内からは火災を生き残ったウジがボール状に固まって発見された。このウジの謎を解くべくごく例外的に警察への協力を依頼された法医昆虫学を専門とする准教授の赤堀は、どこからどうみてもただの昆虫オタクで、捜査員から不振の目で見られることはなはだしい。しかし、その驚異的な知識と洞察力によって、彼女は焼死体にまつわる謎を次々と解きほぐし、ついには死に至った謎にまで到達してしまう。


はじめて本書を書店で見かけ、「昆虫法医学」という文字を目にしたときは、ミステリーもここまで細分化しないとネタ切れになってきたのかとある種の諦念にも似た気分を覚え、うっかり購入し損ねてしまいました。ところが最近になって著者の作品が三冊並んでいるのを発見、しかもそのうちの2冊は「法医昆虫学」シリーズです。あれ、これって面白いのかな、と思って本書を手に取ったところ、なんとも異様な迫力につい読み切っておりました。


しかし、「昆虫探偵」もとい「法医昆虫学者」という看板は(まことに勝手ながら)ミスリーディングではありませんでしょうか。だって「昆虫探偵」と言えば、かの大変態作家(最大級の賛辞です)鳥飼否宇氏の快作にして傑作「昆虫探偵―シロコパκ氏の華麗なる推理」を思い出さずにはいられません。この、朝起きたら自分がゴキブリであることに気がつき、そのうえ昆虫界における数々の難事件をクマバチ探偵シロコパκ氏とともに解き明かす(そしてその謎解きは昆虫の生態について深い知識を持っていないと決してわからない)物語は、それはそれは素晴らしいものではありましたが、鳥飼氏以外には決して構築できる世界ではありません。


ところが、本書はなんと素直にまっとうな推理小説であり、またある種の警察小説なのです。赤堀のお世話を相方の鰐川とともに押しつけられた刑事岩楯は、署員の否定的なまなざしにもかかわらず、事件現場で昆虫網を振り回し、鰐川に昆虫の唐揚げを食することを強要する赤堀を、どこか信頼と共感の目で見つめるようになります。この岩楯も、相当な変態であることは間違いありません。


しかししかし、本書の素敵なところは、ウジや死体(人間、動物問わず)という一般には忌避され、目にもしたくないものと思われる対象を、間違いなく愛情に溢れた表現で描き出し、うっかり子猫でも見つめているのでは無いかと読み手に思わせてしまう筆致にあるように思います。例えば、主人公がイノシシの死体を発見したときの描写はこんな感じ。

体長、二メートルはありそうなイノシシだった。ほかの獣に喰い荒らされたらしく胴体の茶色い毛皮が裂けてぺろりとめくれ、あばら骨が見えていた。牙を剝き出した頭蓋骨が露出し、体の組織がほとんどなくなっている。死後すぐに起こる膨満期はとうに過ぎ去り、腐乱記も終わりにさしかかっていた。死んでから、だいたい十五日以上。屍肉をむさぼるウジが少ないのは、組織の水分が失われているからだろう。その代わりに、乾燥した肉を食べる赤茶色のカツオブシムシが、灰色の骨に、隙間もないほどびっしりとへばりついていた。

この最後の一文に見られるように、穏やかなのだけれど少し油断しているとずばりと直球を投げ込んでくるような文章は、極めて高い精度で練り込まれていると感じました。物語の切れ味と展開の妙もとても素敵です。勢いよく続編も購入致しました。