閑話休題:もう本は増やさない

そもそもなぜ「読書記録」などというものをはじめようと思ったのか、そのもっとも大きな理由は、本が室内空間を圧迫するからにほかなりません。一時期は、それでも本は捨ててはならぬ。神聖なもの故敬って扱い、知人が訪ねてきた際にはお勧めの一冊をささっと取り出して与えるのだ!などと考えていたこともあります。その後そんな気分はまったく無くなり、古本屋に運ぶ気力も無く怠惰に書棚に収めていたのですが、まあ、これが収まらない。


書棚は基本的には奥から手前へと三列で並べ、その上の空いた空間に横向きに本を詰め込み、それでも溢れ出てくる本たちをこんどは書棚の上に積み重ねます。当然構造的には不安定なので地震があったりするとがらがらと崩れ足に当たって痛かったりするのですが、天井までぴっちり積み重ねると圧縮力が働いて安定します。等と言うことをやっていると馬鹿馬鹿しくてたまらなくなる。


それで、もう本は持たない、誰かにあげてしまおうと思ったのです。幸い大学に勤務しているため、大学に持ってゆけばけっこう誰かがもらい受けてくれるわけです。しかし、そうなるとやはり何をどう読んだのか、思い出すのが難しい。誤って、一度読んだ本をまた買ってしまうかも知れない(よくあることではありますが)。なにより、読みながら何を思ったのか、忘れてしまうのが哀しい。それでは読書の「記録」をつけよう!と思ってはじめたのがこの怠惰な文章たちなのでした。


しかし、そうすると何が起こるかというと、読書の記録をするまでは書棚に入れにくい。書棚に入れてしまうと、記録をした本かどうかわからなくなって、大学に持ってゆきづらい。自然、記録をしていない(そして記録をしたいと思った)本たちは、記録をしない限りダイニングテーブルに積み重ねられてゆく。それでも昨年の10月くらいまでは問題ありませんでした。なんとか仕事をこなしつつ、楽しく記録する時間がとれたので。しかし、昨年の後半は試練の時期でした。あれやこれやの原稿や編集作業で多数の人に迷惑をおかけしてしまい、ほんとうにもうしわけない時期が続いたのです。そんなとき、読書記録を書いているわけにも行かなかったのです(だって実名だし。。編集者さんに怒られてしまう。。。)。


そんなわけで、昨年の終盤戦、僕のダイニングテーブルには記録をされずに放置された本たちが、まるで城砦のごとく建ち並び、食事はなんとかできるけれどもラップトップはどこに置いたらよいのやら、なおかつ掃除をしようとちょっとテーブルを動かすと雪崩のごとく本たちが崩れ落ちるという、よく考えるとまるで振り出しに戻った惨状を呈したのであります。


この状況に教訓があればといえばあまり無いのですが、ことしはきちんと原稿を書き、締切を守り、皆さんにご迷惑をかけず、そして心安らかに読書の記録を行おうと、結局記録をつけずに教え子にあげてしまったあの本やこの本を思い出しながら思いました。そしてそして、気がついたらまた本棚に増殖しはじめた本たちも、どんどん学生に配るのだ。少しでも読書の喜びを知ってもらえれば、皆さん素敵な作家を自分で見つけ出し、そのほかの著作を買ってくれるようになることを信じて。