マイクル・コナリー:死角 オーバールック

前作「エコー・パーク」でロス市警に復帰するもいきなり大変な事態に遭遇した初老の刑事ボッシュは、ある夜ロスの市街地に位置する展望台で男の射殺したいが見つかったため、現場に駆けつけて欲しいと上司より依頼される。明らかに処刑されたと思われるその男は、医療に使用される放射線同位体を専門的に扱う医学物理士(日本で言えば放射線技師にあたるのかなあ)であり、多くの放射線同位体を取り扱うポジションにあることからFBIの監視下にあった。そんななか、男の職場の一つからセシウムが盗難されていることが判明し、殺人事件はテロへと格上げされ、FBIは介入し、ボッシュは当然のごとく抵抗、しかもめまぐるしく事件は展開を遂げてゆく。


エコー・パークでなんだかしんみりとした気分にさせられたのですが、本作ではうって変わってノンストップアクション的な、ビート感あふれる展開にいつもながらのダブルバインド的状況が続き、相変わらず楽しめました。本作は、911後のアメリカにおけるテロリズムへの妄想的恐怖とそれにあらがいつつも従ってしまう人々、そのなかで、大事なことを忘れてはいないかと叫ぶ主人公という、もはや定番ともいえる枠組みの中で展開されるのですが、そこでも単なる現状批判の徒としてボッシュを描き出さず、自分の容姿であったり、同僚の妻が妊娠八ヶ月であったりなど、極めて個人的なことがらに悩み苦しむ男として表現するあたりが、やはりマイクル・コナリーはさすがだなあ。


この物語は、コナリーには珍しく読者を右へ左へと揺さぶる構成となっています。そもそもの初めに示される男が「処刑」されているらしいという状況からして「ミスディレクション」なのですが、その「ミスディレクション」が物語の雰囲気を無駄に高めるだけではなく、また読者に無駄な裏読みを強いるわけでもなく、物語の世界を力強く練り上げてゆくところが素晴らしい。また、深夜に始まっておそらく次の昼過ぎには終わってしまうと言う、とてつもない疾走感もたまらなく心地よいものがありました。


しかし、やはり本作の魅力は、911アメリカにおける「テロへの戦い」という空虚なかけ声の下での思考停止と、その思考停止の中でも自分の仕事をやり遂げようとする人々のある種の残念な滑稽さ、そしてそれをただ批判的に捉えるのではなく、目下のできごとを一生懸命考えるという、言われてみれば当たり前の行為でキャンセルしてゆくボッシュの姿にあるように思えました。放射線同位体盗難によるテロリズムの恐怖という、いつもよりものものしい舞台立てですが、いつも死にそうなボッシュが少しばかり生きる力を取り戻したような気がして安心しました。