閑話休題:最近本が読めない理由

確かに最近忙しい。年度末の慌ただしさが未だ尾を引く感もあり、学会の締め切り、研究費の交付と申請作業、各種委員会や会合も今週はこれで3回目。まとめなければいけない報告書もある。でも、いつもならもっと本が読めているはずだ。なぜ最近本がちっとも読めないかというと、ほかでもない、つまらない本にばかりあたるからなのである。これは同時に、面白そうな本が全く見あたらないということの裏返しでもあるのだが、いずれにせよ、たいへんたいへん腹立たしい。あまりにも腹立たしいので、今回は途中まで読んだものの、最後まで読み通すことができなかった本を、しみじみ記録してみたい。あまり趣味がよいとは思わないが、あまりにもやりきれないので。



ドグマ・マ=グロ」:解説によると、初版本のカバーそで部分には、「この小説には、私の心を震撼せしめたあまたの怪奇探偵小説ー江戸川乱歩夢野久作小栗虫太郎海野十三の世界が息づいています。」との作者の言葉が書かれていたらしい。申し訳ないが、本書のどこにもそれらの作家の息吹は感じられない。それどころか、劣化コピーとも呼べぬ、曰く言い難い、緊張感の無く言葉のざらつきのない、読んでいるだけで気分を鬱々とさせる極めて凡庸な世界が広がっている。夢野久作とはよく言ったものだが、それにもまして小栗虫太郎ですか。。いやはや。



「迎え火の山」:非常に骨格のしっかりした作家で、文章は流麗、構成も一流だと思う。でも読み通せなかった。そもそも山奥での怪異譚という設定自体が、この本の厚みだけ僕を引っ張ってくれる牽引力に欠けている気がする。残念ながら会話文も極めて典型的で、つまり現実にはとても話されていない小説的表現が多く、こういう文章がある意味上手な文章なのかとも思った。あまりにも小説的な性衝動の表現にも辟易する。でも、一般的にはとても上手で力強い作家と評価されるべきだと思う。



「コラプシウム」:気の迷いで買ってしまったが、当然のように失敗であった。この本に対してよりは、この本を買わざるを得ない出版状況を呪いたくなる。これはある意味コテコテのオタク系海外SFなのだが、まあ、ひどい出来である。「F=maなのは明らかだ。とすれば必然的にF=ea/c2になる。だとすると?その場合、明かというわけにはいかなくなる。」これは特に面白い部分だが、あまりにも意味がないので、あやうくこのような文章を楽しまなくてはいけないのかと思うところであった。あぶないあぶない。この引用部分は特にひどいが、この文章を読むだけでもおそらく翻訳に問題がある気がする。そもそもの原文の問題なのかも知れないが。しかし、アカデミックな文章を気取って、注釈を巻末につけるくらいなのであれば、もう少し本文のレイアウトや注番号の挿入の仕方にも気を配るべきだ。本文と同じサイズでアスタリスクが入れられているのを見ただけで気分が悪くなる。



「アルアル島の大事件」:アルアル島にたどり着く前にあきらめてしまった。紹介にはユーモア・ミステリみたいなことが書いてあったが、実際には悪趣味で差別的な文章が延々と続き、とても気分は落ち着かずむしろいらいらしてきて大変に困る。4分の一程度読んでの結論は、なぜこんなものを読んでいるのか判らないというものであった。よく見るとタイトルも変だし、表紙もかなりおかしい。いったいどういうことなのか。



とまあ、読書的にはあまり幸運ではない一週間であった。でも、今日は蒲田の有隣堂山田風太郎の明治小説全集を見つけたのでよしとしよう。早速買ってきた「明治断頭台」は、これがまた素晴らしい出来なのだ。こういう文章を読むと、やはり素晴らしい文章を読むと気持ちが落ち着くなあと、しみじみと感じるのである。文章ってほんとうに美しいなあ。特に山田風太郎の文章はね。こんなに素晴らしい文章を読むと、最近の小説の文章が読めなくなってしまうのが困ったものなのである。