閑話休題・紀伊国屋絶版古書販売について。

本日は物欲(本の購買欲だけですが)が目覚めてしまったので、新宿ジュンク堂紀伊国屋本店のはしごで計4冊購入。津原泰水「ペニス」、目取間俊「平和通りと名付けられた街を歩いて」(以上ジュンク堂)、鳥飼否宇「痙攣的」(紀伊国屋)を購入した後、買おうか迷っている本を230ページほどとばし読みで立ち読みして帰ろうかと思ったら、紀伊国屋2階で絶版文庫の古書店フェアに遭遇。ざっと見た限りでは大した本は無かったが、なんと久間十義の「聖マリア・らぷそでぃ」の河出文庫版を発見、定価680円のところを1280円との値付けに悶絶しそうになったが、もう二度と会えない気がしたので購入。

この本はとても素晴らしい本なんだけれど、河出の呪いかすぐに絶版となり、ネットでもほとんど文庫は手に入らないのです。単行本は今まで二度手に入れたが、どちらも人に貸したまま戻ってこない。。久しぶりに見た文庫版の表紙は、記憶以上に卑猥でびっくりしたが、もっとびっくりしたのが解説を奥泉光が書いていたこと。この解説がスゴイ。(以下、解説より一部抜粋)

「久間十義は距離をとる。「イエスの箱舟」から想を得たと推察される「聖マリア教団」の歴史と受難の顛末を、迫害者から伝道者へと回心したパウロに自らを擬する男が語る物語には、「文学的なるもの」が微細な差異を競い合ってきた「情景描写の美しさ」だとか「心理描写の見事さ」だとかはかけらもない。代わりにあるのは徹底的な構築への意欲である。強い意志である。」(抜粋終わり)

解説って何のためにあるのかと以前書いた気がするが、奥泉の解説を読むと、ある作品の良さを簡単に人に伝える方法なんだなあと思う。だからこそ、解説者は能力と才能が問われ、またそれを満足するだけのものを持った解説者は少ない。今日は本当に良いものを手に入れることが出来た。それはさておき、鳥飼否宇の「痙攣的」を読み始めたら、すでに一度読んだことがあるのを思いだしがっかり。悔しいので上記の立ち読み本を最後までとばし読みして帰宅。こんな事をしたのは初めてです。