クリス・パヴォーネ:ルクセンブルクの迷路

ルクセンブルクの迷路 (ハヤカワ文庫 NV)

ルクセンブルクの迷路 (ハヤカワ文庫 NV)

アメリカの政府関係の仕事に努めているらしい主人公のケイトは、とりたててハンサムでは無いものの実直で堅実、しかも正直なSEの夫デクスターと、ワシントンDCでつつましい生活を送っていた。ところがある日デクスターがヘッドハウントされ、ルクセンブルグで銀行のセキュリティ関係の仕事を持ってくる。その法外な収入と、こどもたちの教育環境を考えたケイトは、仕事を辞めて主婦となりルクセンブルグに行くことを同意する。そしてルクセンブルグでの生活が始まるのだが、なぜか奇妙な夫妻に生活を監視されたり尾行されたり、いつのまにか隣人のオフィスに不法侵入したり拳銃を購入したり、やたらハードボイルドな生活が始まってしまう。


ぼくの知りうる限り本書はあまり話題にはなっていないと思うのですが、不思議でたまりません。傑作です。ちょう面白い。なによりも、ケイトとその夫のそれまでの文脈が語られること無く物語は始まり、しかも「現在」と思われる時制がゴシックで、回想シーンと思われる時制が地の文として明朝体で書かれ、その意味が物語中盤になってわかるものも最後になるまで2つの物語が出会わないという、構成の妙が素晴らしい。


読み通して思ったのは、これはやはりスパイ小説なのです。スパイ小説と言えばあれやこれやを思い出しますが、基本的には無駄な疑いを重ねに重ね、結果的にやっぱり無駄だったという徒労的展開の徹底が最終的にカタルシスを呼び起こすという、極めて趣味的なジャンルだと思います。そして、形式としてのスパイ小説を一切意識させずに、そのカタルシスを実現してしまったのが本書なのです。そもそも、主人公の勤め先がなかなかわからないのがいらっときて楽しめます。読み進めるうちに、「あ、そーいうこと!」と思うのだけれど、そう思わせずに思わせぶりな記述が頻出し、しかもそれと気づかせないところが心憎い。悪く言えばあざといのです。でも、それが心地よい。


これはケイトだけに該当するわけでも無く、謎めいた近所の夫妻に始まり、いろいろとケイトに接触してくるひとびとをはじめ、結果的に、というか物語の中心軸としてデクスターにも当てはまるところが、本作の真骨頂と言えるでしょう。それまで単に堅実で不器用、なおかつ温厚な人間だと思っていたデクスターが、実はまったくわからない一面も持っていたのでは無いか、そのように悩み出す主人公と、その悩みがまったく意味が無いと思わせる主人公の秘密、この揺れ動きながらもある意味で不動の安定感をもつジレンマを、いかんなく物語の世界に投影させたのが本書だと言えます。


正直スパイ小説は現代的には成立し得ないと思っていたのですが(実際に、最近素敵だなあと思ったスパイ小説は冷戦時代を描く歴史小説化しているものがほとんどだと思います)、このようなかたちで提示させられ、しかもすっかり楽しまされてしまったのは意外以外のなにものでもありません。このような素敵な物語を日本に紹介し続ける早川書房に、大いなる感謝の念を抱いてしまいました。