小川一水:天冥の標 IV 機械じかけの子息たち

天冥の標?: 機械じかけの子息たち (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標?: 機械じかけの子息たち (ハヤカワ文庫JA)

突然自分が病室のようなところで見知らぬ少女に介抱されていることに気がついた少年は、自分の名前はおろかなぜここにいるのか、そもそもここがどこなのかということさえわからず混乱に陥るのだが、そのまま介抱されているうちになぜか少女と性的な交わりを持ってしまう。その興奮状態から離脱するにつれ、自分のキリアンという名前や自分が<救世群>、すなわち冥王斑感染者であること、それにも関わらず非感染者と接触してしまったことに気がついた少年は驚愕するのだが、少女にはまったく動じた様子も見られない。少女は<恋人たち(ラバーズ)>と呼ばれる、人間に性的に奉仕することを目的としてつくられたアンドロイドだったためである。その<恋人たち>は、自分たちの住居である人工惑星が謎の勢力によって破壊されつつあるという、危機的状況にあった。その状況を打開するため、キリアンとそのパートナーとなるべく作られたアンドロイドのアウローラは、なぜか理想的性交「混爾(マージ)」を追求する、長い長い性交の旅に旅立つこととなる。


傑作なり。天冥の標シリーズ第4巻目にして、一つの頂点を極めたとも言うべき本作、この巻のみにしても「天冥の標」の名前は永く人々の記憶にとどめ置かれるに値すると断言できる作品です。とにかく、全編をつらぬく極めて偏った過剰さが素晴らしい。セレスの歓楽街の売春宿の一室で繰り広げられる情交を、「倫理兵器」なる人型超強力戦闘マシーン「純潔(チェイスト)」と「遵法(ロイフル」が文字通りぶちこわす一幕から始まる冒頭のシーンといい、目が覚めるたびに記憶を消されたキリアンが<恋人たち>の作り上げた舞台でどこか奇妙な感覚を持ちながらも性交を繰り返す描写、そして自分がほぼ幽閉状態にあることに気がついたキリアンを「救出」しにきた実は度を超したサディスト集団である「聖少女警察」によるキリアンへの苛烈な虐待を描き出すシーン、そしてよくわからないながらも至高の性体験「混爾(マージ)」を追求するキリアンとアウローラの姿など、どれをとっても過剰な性描写とテンションの高さに溢れているのですが、なぜか敬虔なる気持ちとでも言おう不思議なまじめさに溢れているところが、本作のとてつもない魅力なのです。


こんな感じで作者の正気を疑うような場面が繰り広げられつつも、物語は着実に構築されているところも、また本作を力強く感じさせているゆえんでしょう。舞台は2313年で、前作で<救世群>のグレアがドロテア・ワットの奪取に失敗した直後を描いています。その事件の影響を受けて混乱が生じた<救世群>コミュニティ、またそのお目付役とされた<酸素いらず>の活躍、そしてそもそも第1巻「メニー・メニー・シープ」で早くもその存在感を見せつけていた<恋人たち>の発生の起源など、これまでの伏線を改修しつつもさらに広げ続ける小川氏の手腕には、ただ驚くばかり。<恋人たち>の作成者である「大師父」が、前作で登場した編隊の天才工芸師ウルヴァーノであることが終盤に明かされるなど、ほんとに最初から考えていたとは思えない物語の横糸の編みっぷりもまた、見事なのです。


でもなんといっても本巻の魅力は、キリアンとアウローラの、ある意味で宗教的とも言える「混爾(マージ)」の描写の、いかんともしがたいおもしろみにあると思うのです。例えばこんな感じ。

キリアンは小惑星鉱山の集合住宅の少年として目覚めた。キリアンは人形博物館で働く五百の人形のひとつとして目覚めた。キリアンは来週八十九歳を迎える老人として目覚めた。キリアンはヤコブレフ設計局のジアゾ紙の上の戦闘機設計図として目覚め、飛行可能域を押し広げた。キリアンは誰にも性器のない町の自転車性器配達人として目覚めた。キリアンは少女として目覚め青年のアウローラに抱かれた。キリアンは少女として目覚め女のアウローラを抱いた。キリアンはとある剣と魔法の中世世界における派遣国家として目覚め諸国を併呑した。キリアンは墓場の亡霊として目覚めアウローラに憑依した。キリアンは墓場の亡霊として目覚めたアウローラに憑依された。キリアンとアウローラは墓場の亡霊として目覚め交わった。キリアンとアウローラは交わったまま志望して埋葬され棺おけの中の有機物として混ざり合った。

この、徹底的にシュールなことばの組み合わせの中に、もはやキリアンとアウローラの追求の途上にあるべき具体的営みは完膚無きまでに脱構築され、その先に広がる形而上学的愉悦の世界が、逆説的に本作を極めて官能的なものとしているような気がするのは、すこし考え過ぎなのかもしれませんが。