小川一水:天冥の標 II 救世群

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

第1巻から話はさかのぼること800年、201X年にパラオ諸島のひとつの島ので未知の伝染病が発生、一報を受けた国立感染症研究所の医師である児玉圭伍と矢来華奈子はすぐさま現地に赴くが、そこでは罹患者のほとんどが死亡するという壮絶な状況が展開していた。この伝染病は極めて高い感染力と致死率を持ち、現地に滞在したほとんどの人々は発症ののちに死亡したが、奇跡的に一人の日本人の少女が発症から回復する。この、感染者の目の周囲には黒斑が生じることなどから「冥王斑」と呼ばれるようになった伝染病は、その後世界中でパンデミックの様相を呈してゆくこととなる。


天冥の標シリーズ第2巻「救世群」では、「メニー・メニー・シープ」のけれん味溢れた未来の物語とはうって変わって、舞台をほぼ現代としながら、謎の感染症がその驚くべき性質を徐々に明らかにされつつ全世界に広められてゆくという、極めて世紀末的とでも言おう物語が展開されてゆきます。そのため、第1巻を読まずとも本書を楽しむことは充分に可能なのですが、やはり再読ならではの楽しさがありました。


第1巻がある意味このシリーズの世界観の読者への華々しい紹介であるとするならば、本書は本シリーズを貫くモチーフ、すなわち「冥王斑」とそれに巻き込まれた人々の運命を描き出しているという点で、本シリーズの物語としての出発点とも言えます。他方、人間の業の深さをどこかに感じさせつつ、それでも絶望的な前向きさで生きる人々を描く、乱暴なまでの物語の牽引力には、大きな背景をまったく感じなくとも本書にのめり込まされてしまうものがありました。


でもまあ、第1巻でカドムの優れた助手として活躍したフェオドールの始祖が登場したり、また羊たちと地球外生命体との開講の場面が差し挟まれたりするところは、読み返すとしみじみ作者の構想力の力強さを感じさせ、とても爽快です。また、物語自体の「救われなさ」というか、どんなに登場人物たちががんばってもどうにもならないことが多々生じてしまうこの展開は、本シリーズに通底したものなのかなあと(第3巻以降の展開は依然として思い出せないのですが)感じさせられました。加えて「冥王斑」感染者は回復後も感染力を保持し続けるため社会的・物理的に隔離され続けなければならず、そのような状況で感染者たちが政治性を発揮してゆく展開には、やはり本書が単発のパンデミックパニック小説でとどまること無く、ひとつの大きな物語の一部であることを象徴しているように思います。人類というひとつの媒体のなかに、「冥王斑」というけっしてまじりあわないものを混入した際、それが数百年のスケールでどのような変化を媒体自体にもたらすのか、そのような巨大な実験が本シリーズの大きな構造なのではないか、などと楽しく考えさせられました。