西村健:残火

残火 (100周年書き下ろし)

残火 (100周年書き下ろし)

議員会館で衛視として働く青年富士見は、ある日あからさまに異様な気配を漂わせた男が議員会館を出て行くのも目撃する。その直後、「民自党」のドンである戸川代議士の部屋で強盗事件が起こったようなのだが、代議士の関係者はのらりくらりと対応し、秘書の一人は姿をくらませてしまう。疑問に思った富士見は、警察を退職し衛視と警察の連絡会に天下った元ベテラン刑事久能に相談する。その強引な追求から、どうやら戸川事務所では表に出せない何かが強奪されたらしく、その強奪犯は伝説の元ヤクザであることが判明する。一方で戸川事務所では、この危機を打開すべく会合がもたれ、元ヤクザでほとんどヤクザのフロント企業とでも言うべき調査会社を営む矢村が必死の火消しに飛び回る。そんななか、強奪犯である初老の花田は、その行動の理由を明らかにしないままひたすら北を目指しのんびりとした旅をつづけてゆく。


いわゆる「ジャンル分け」にはまったく意味を感じないのですが、それでも西村健氏の描く世界ってどのような「ジャンル」に分類されるのか、不思議に思ってしまう魅力にあふれているように思います。初めて出会った氏の著作である「任侠スタッフサービス」は、なぜそこまで賭博に詳しいのですかと思ってしまうくらいのいわゆる「ヤクザ」小説かと思ったのですが、どうやらそうでは無い。「ヤクザ」小説や「警察」小説に感じられる、組織論へのオブセッションがまるで感じられません。むしろコンゲーム的要素と伝統的人情話的雰囲気が強く、あれっと思わされました。


その後「ビンゴ」「劫火」「突破」「脱出」などを次々読んで見たのですが、大雑把ではありますが僕が一番感じた印象が、日本全国名所巡りの小説という、なんとも内容とは一致しない不思議なものでした。本書も、ぱっと見元ヤクザとブラックな政界関係者、そして元警察官の熾烈なつばぜり合いなのだけれど、おそらく物語の根幹をなすのは元ヤクザの北陸から青森、北海道へと至る人生の総括の旅であり、そこで描かれる食べ物や人々との交歓の姿なのです。


そこにこそ、僕が西村氏の小説に感じる安心感があって、本書もとても楽しめました。そして、この良く訳のわからないところが、氏の小説をある意味分類不可能なものとしているような気もして痛快です。でもねえ、基本的には群像劇な本書、一番のトリックスターとも言うべき初老の元ヤクザは、バブルに嫌気がしてしまいヤクザを廃業して豆腐屋を始めてしまったり、しかも突然ジムでクライミングを習い始めたりしてしまう。元刑事で広島弁の男は、ヤクザに取り込まれた警部補の部下に息子のような愛情を感じてしまい、まっとうな刑事とすべく教育に目覚めてしまう。ヤクザのフロント企業として(正確には違うのだけれど)政治家の汚れ仕事を引き受けてきた男は、ヤクザ時代にあこがれていた姐さんと天丼を食べながら至福の時間を過ごす。よくわからないのだけれど、本書は結構いままでに読んだことのない、団塊世代の時代遅れの運動会兼再生の物語とでも言うべき、タイトルと表紙、そして帯の刺激的な文言とはまったく異なった世界を描き出しているように思えました。それがつまらなかったのかというとそんなことなくて、あまりにも未体験な世界にぐんぐん引き込まれてしまう。なんだかよくわからないのですが、とても楽しめたことは間違いありませんでした。