森田季節:不動カリンは一切動ぜず

不動カリンは一切動ぜず (ハヤカワ文庫JA)

不動カリンは一切動ぜず (ハヤカワ文庫JA)

性行為が死をもたらす病が流行し生殖が人工授精で行われるようになった未来、内気な少女不動火輪は同級生の兎譚とともに、学校の課題で未解決事件を調べるというレポートに着手する。その直後から、火輪と兎譚の周囲には不穏な事件が相次ぎ、無欲会という謎の宗教団体や「強制善人」を自称する謎めいたジャーナリストなども出現、なんだかとんでもない事態に発展するおはなし。本書は昨年読んだ小説の中でもベストに入る一冊でした。


とにかく設定がはちゃめちゃです。性交渉を行うと致死的な症状をきたす病が蔓延したため、異性間での性交渉はタブーとなり、その代わり人工授精による試験管ベイビーでの子作りが定着、それによって夫婦・親子関係が劇的に変化した時代が舞台であったり、「思念」と呼ばれる情報の固まりを「媒介点」と呼ばれる無数の人工衛星のようなものを介してやりとりすることが普通であったりと、舞台のしつらえは極めてSF的なのですが、それだけではない、というかむしろそれ以外の世界の作り込みが異様で面白いのです。


例えば、主人公である火綸は不動院というお寺(みたいなもの?)に暮らす一家で、その構成は母が二人に父が一人であったり、そのためなにかあると火綸は不動明王に一心に祈りを捧げたり、さまざまな宗教団体の思惑が入り乱れたり、そのなかで火綸や兎譚たちは神戸市垂水区を一生懸命駆け回ります。しかも、起こる出来事は嵐山での不審な交通事故であったり、その調査途中での不審な殺人事件であったりと、ある種ミステリ的な展開を物語は遂げてゆく。


ところが、本書の主題とするところは、おそらく「愛とはなにか」ということにあります。それも、火綸と兎譚という二人の中での愛なのです。これがなかなか深みを見せるのは、「愛」の本質から性愛が取り除かれた時に残るものはなにかという、ある意味ありえないのだけれども「宗教的」な考察をせざるを得ないところで、ここにおいて著者後書きに曰く「神様を使った小説を書いてみた」とのことばが理解できたように思えました。


といいつつも、著者の言う「神様」とは、火綸が信仰する不動明王であったり、本書のいたるところにちりばめられた信仰スポットであったり、よくわからない方法で人々を導く「国家」であったりするのかとも思います。しかし、これはやっぱり「愛」にまつわる物語なのではないかなあ。思うに、著者はこの物語を細部まで構築した上で書き始めたのでは無いように思えます。それはある種のプロットはあったのでしょうが、書き進める中で物語や登場人物が勢いよく走り出し、どんどんと世界が広がっていったのではないか、そんな気にさせる勢いの良さが、本書にはあふれています。


また著者の語り口も素敵で、全体的に諧謔を感じさせるノリの良い文章なのですが、突然差し挟まれる「悟り」を開いた人間のエピソードはまるで怪しい健康器具の体験談調であったり、さりげなく、なおかつ執拗に「ハルキ教」なる宗教が言及されたりと、とにかく楽しくてたまらない。作者後書きに「若干カバーイラストと内容が異なる気がする」とまでかかれた挿画も、勢いよく裏表紙にまではみだしていたり、とにかく素敵としか言いようのない一冊でした。