マリー・ルツコスキ:ボヘミアの不思議キャビネット

ボヘミアの不思議キャビネット (創元推理文庫)

ボヘミアの不思議キャビネット (創元推理文庫)

舞台は中世ボヘミア、現実世界にとても近いのだけれど、ある特定の人々だけ「魔法」を使える、というとこだけがちょっと違う。主人公の女の子ペトラは、そんな「魔法」でブリキに命を与えたり、不思議な時計を作ることができる職人の娘なのだが、王子に呼ばれプラハで時計を作りに行った父が、ある日両目を取られた姿で運ばれてくる。どうやら、王子は父の作った時計に魅せられてしまい、二度と同じ時計が作れないように目玉を「魔法」で取り上げてしまったらしい。憤慨した彼女は単身プラハの王宮に乗り込んで、父の目玉を取り戻す決意をする。


物語の導入部分は、装飾的な文章に様々な名前がやたらわかりにくく配置され、誰が誰やらわかりにくくずいぶんとっつきにくく感じてしまいました。しかし、その導入部分を乗り切ると、ぐいぐいと物語の世界に引き込まれてしまう。まず、この世界の「魔法」のありかたが面白くて、誰もが使えるものでは無いようなのです。しかも、その「魔法」もど派手なものではまったくなくて、確かにブリキの動物が命を与えられてしまったりもするのだけれど、なにかいわゆる現代の技術のような、斬新ながらささやかなもので、ギルド的職人の世界とあまり変わらない。


物語も、主人公が暮らす村の描写から始まり、プラハに着いての街の情景が続いて描かれ、そして中盤以降は主人公と主人公を手助けすることになるロマ人の少年の冒険が生き生きと描かれてゆきます。ここで面白いなあと思ったことが二つあって、一つはプラハの街の描写です。まず主人公は、その「汚さ」に驚いてしまう。街にはゴミやホームレスが至る所に見られ、建物の2階、3階からは糞尿が地面に投げ捨てられる。これは、おそらく近代の後半に至るまで、ヨーロッパの大都市の典型的な姿だったと思うのですが、小説でここまできちんと表現したものは、覚えている限り初めてです。この、匂い漂うかのような作劇法が、まず楽しめます。


次に面白かったのが、街でたまたましりあうこととなるロマ人の少年の姿と、彼から語られるロマ人たちの姿なのです。部分的に作者の創作もある(と後書きで述べられている)のですが、当時のロマ人の生活や、どのようにそれ以外のひとびとから扱われていたのか、まざまざと描き出す作者の筆致には、もちろん主人公の冒険譚も楽しいのだけれど、それを支える以上の力強さを感じました。


訳者解説にもあるとおり、本作は続編の存在を感じさせるような回収されない複線もあり、続きが楽しみでなりません。訳文も、おそらくかなり癖のある文章だったのではと思わせるものですが、とても雰囲気を伝える素晴らしいものでした。続編が待ち遠しい一冊です。