ジョー・ウォルトン:バッキンガムの光芒 ファージング3

バッキンガムの光芒 (ファージング?) (創元推理文庫)

バッキンガムの光芒 (ファージング?) (創元推理文庫)

第二次世界大戦末期、イギリスとドイツが講和を結んだという設定のパラレルワールドを舞台にした「ファージング」シリーズ第三弾にして完結編。今回の舞台は1960年、ナチスが大戦に勝利してソ連は消滅、イギリスがユダヤ人とコミュニストを弾圧する政策を過激に押し進める中、ノーマンビー首相に個人的な弱みを握られた優秀な警察官カーマイケルは、その意に沿わずイギリス版ゲシュタポ「監視隊」の隊長を務めていた。そんななか、後見人として育てていた部下の忘れ形見の娘エルヴィラが、深刻なトラブルに巻き込まれ逮捕されてしまう。絶体絶命の状況に陥ったカーマイケルは、大混乱の中英独日の「平和会議」を迎えることになる。


本作は、カーマイケルとエルヴィラの交互が物語の語り手を務めるという構成こそ前二作と同じものの、物語自体は極めて単純というか、けれん味を感じさせることなくあくまでまっすぐに突っ走ります。ようやく、これまで高められてきたテンションとカタルシスが一気に解き放たれるような、そんな爽快感を感じさせられました。


しかし、やはり物語はあくまで陰鬱に進行してゆきます。イギリスにはとうとうユダヤ人に対する強制収容所が建設されようとし、ひとびとの行動はファナティックな方向への傾向を高めてゆきます。それは主人公の大切な後見人でもあるエルヴィラについても同様で、人種差別的発想を、むしろ当たり前のものとして育っています。にもかかわらず、ノーマンビーを罵倒するデモ隊に巻き込まれた彼女は逮捕・収監され、自らが迫害の標的となる皮肉な展開を見せます。


これまで幾度も重大な犯罪をノーマンビーに代表される強大な権力に握りつぶされてきたカーマイケルは、ユダヤ人の同僚と共に権力の中枢にありながらも奥歯に毒物のカプセルを隠しながらユダヤ人の逃亡に手を貸していました。しかし、その運動もエルヴィラの騒動のおかげで極めて危険な状況に陥り、カーマイケル自身が極めて危険な状況に立たされるとともに、カーマイケルの周囲では信頼していた人々が検挙されてゆくことになります。


物語の悲劇性はともかく、この作者はとことんまで登場人物を痛めつけるのが好きなようで、前二作でもそうでしたが、本作でもカーマイケルを始め素敵な登場人物は次々と悲劇的な状況を迎えることになり、その描写にはなんだかとっても気が重くなるものがありました。しかし、それでも先へさきへと読む手が止まらないのは、その抑制されながらも過激と言えば過激、そしてマゾヒスティックにも感じられながらも自称「楽天的」な作者の筆致によるところが大きいように思えます。とにかく、これを読み通せばなにかよいことがあるに違いない、と思わせる作者の作劇法は、力強いとの一言に尽きています。


でも、いったいどうしてこのような物語を発想するにいたったのか、そのあたりが相変わらず不思議と言えば不思議です。これは、例えば思考停止に陥った人々の行動の恐ろしさをフィクションとして描いたものか、または現在でも見られる「現実」を単純化し、人々を二項対立的に分断することに警鐘を鳴らしたものなのか。いずれにせよ、またはそれとはまったく関係なくとも、素晴らしく楽しめてしまうことは間違いないのですが。やっぱり、フィクションがフィクションであるからこその現実への訴求力というか、想像力を刺激することによる「現実」への振り返りのまなざしの顕在化というか、「現実」と「非現実」の狭間を狙い撃つような物語の力強さを、またしてもしみじみと感じさせられました。