朝暮三文:再びラストホープ

国分寺で釣具店を営む二人の東堂と刈部、そして立川で中華料理店を営む李は、ともに府中刑務所でご一緒したことのある元宝石泥棒。そんな三人が、東堂の作成したフライが国際コンテストに入賞したためパリでの授賞式にのぞむ。そこでふとしたことで儲け話に巻き込まれた三人は、フランスの田舎町での不正経理事件に首を突っ込むのだが、事態は思わぬ展開を見せ、刈部は強盗プラン作成に手を染める羽目になり、李は華僑人脈を使って悪者を集め、東堂は黙々とフライフィッシングに精を出す。


確か文庫オリジナルだった「ラストホープ」の続編です。足を洗った三人組の元泥棒たちが、見かけは儲け話、蓋を開けばとんでもない大騒動に巻き込まれる(という筋だったような気がする)前作の構成はそのままに、今度は舞台をフランスに移してまたもやシュールで狂騒的な騒ぎに巻き込まれてゆきます。


朝暮氏は、そのあまりのシュールさにこれはギャグなのか、それとも作者の嫌がらせなのか、たまにわからなくなってしまう小説を書く作家のように僕には思えていたのですが、このシリーズは文句なしに楽しめます。飛行機嫌いで思慮深く、おそらくもっとも犯罪計画に対し真摯に向き合う東堂は、一方で食事のメニューとフライフィッシングに過剰なこだわりを見せ、ある意味で普通な人格を保つと思われる刈部は軽率かつ行き当たりばったり、李はというとフランス語を操ることができるばっかりに本作では通訳としてこき使われるものの、不思議な人脈を遣い強盗チームを作り上げてゆきます。


この、一風変わったというか、一癖も二癖もある体裁を採ったコンゲームというところが本作を端的に表しているとは思うのですが、しかし本作の魅力は、やはり朝暮氏の遊びと諧謔に満ちた地の語りにあるように思えました。それはどういうところに現れているかというと、例えば各章の始まりの文章です。本書の書き出しは、こんな感じ。

パリはいくつもの顔を持つ。食の都としての顔、あるいは恋にまつわるそれ。しかし旅行者が最初に知るパリは絵の具や料理、美女の柔らかい肢体といったたおやかなものではない。それは煉瓦やコンクリートやガラス、そして鉄骨や漆喰によって構成されている顔だ。なぜならそれはパリがフランスへの空からの玄関口となっているためだ。

次の章では、また違ったパリが語られます。

ある人間にとって、そこにあるのがパリなのか、或いはパリだから、そこにあるのかは判然としない。つまり、パリを来訪する人物と実存としてのパリとの関係は、はっきりとしないのだ。なぜならば、そこに暮らす人間、そこで繰り広げられている出来事、そこに秘められている真実のすべてがパリだからだ。つまりパリは地理的な地点ではなく、パリに関わるすべてがパリなのだ。だからパリはややこしい。特にそこで犯罪を遂行しようとするならばだ。


このあたりを抜き出して書くと、なんだか理屈っぽい物語に感じられるかもしれませんが、それがまったくそんなことなくて、この無駄なく硬質でテンポよい文章によって語られる物語は、あくまでオフビート感にあふれた実に楽しいものなのです。この、文章の研ぎ澄まされかたと物語の千鳥足っぷりのみごとな混迷が、本書をたまらなく魅力的な一冊にしているように感じます。