曽根圭介:沈底魚

沈底魚 (講談社文庫)

沈底魚 (講談社文庫)

無愛想で目つきの悪い主人公は、警視庁公安部外事課に所属し中国と北朝鮮を担当する捜査官だが、ある日中国からアメリカへ亡命した元高官が日本人の政治家に中国のスパイがいると暴露する事態に遭遇する。上層部は一度はデマだと一蹴するも、二週間後にやはり調査をすることに。外務省経由で、該当政治家が「マクベス」と呼ばれる大物スパイである可能性が浮上したためらしい。なにかもどかしい思いを抱きながら捜査を進める主人公は、旧友との思わぬ再開や相棒の不審な行動、同僚との諍い、上司の不審な行動などに翻弄され、もう何がなにやらわからなくなる。


書き下ろしSFコレクション「NOVA2」での「衝突」という短編があまりに素晴らしかったので読んで見た本作、警察小説、それもこてこてのスパイ小説というまったく異なる味わいながら、やっぱり素晴らしいものでした。思うに著者は、ある極限状態におけるダブルバインドを、これでもかという物語の構築によって研ぎ澄ましてゆくことに異常に長けているように思えます。だからこそ、作風が違えども振り切れたテンションの高さが感じられるのではないかなあ。


先日、しばらくぶりにお邪魔したビールバーで異常に博識な常連さんとお話ししていて、最近「警察小説」と「ヤクザ小説」を好んで読んでいると申し上げたところ、すかさず「それは組織論ですね」と切り替えされました。確かに、どちらも組織という枠組みにおけるある種の「倫理観」の追求が主題になるという点で、ほぼ同じ世界に属するなあとは感じていました。同じことは、例えば古処誠二氏の初期の作品(自衛隊の内部監査官が主人公のシリーズ)にも言え、なんとなく僕の中では「公務員小説」とひとくくりにされるジャンルです。


本書もある意味で「公務員小説」だと思うのですが、面白いことに本書の主題であるスパイ合戦という装置が、「公務員小説」の背骨を担保する「組織論」を揺るがしてゆくところにあります。主人公は、組織や相棒、また想像することのかなわぬ思惑の中で、なにが正しく誰が正直なのか、思い悩んでゆきます。そしてこれだと確信した事柄は、ことごとくひっくり返されてゆく。ここにいたって、本書は「公務員小説」からなにかメタフィクショナルな、現実の定義が浸食されてゆくような展開を見せてゆきます。


この、主人公から見た現実がゆがんでゆくという雰囲気は、初期の久間十義氏や小林恭二氏の著作を思わせます。しかし久間氏や小林氏はあくまで「日常」を解体し、それによって「日常」に隠蔽されたものをあぶり出そうとしていたように思えるのに対し、本書はあくまでフィクションとしての楽しさを追求しているように思えます。このあたりが、「ポストモダン」と「ポストバブル」の大きな違いなのかなあと思いつつ、なんだかとても納得ができる、そんな気にさせられました。