アミール・D・アクゼル:神父と頭蓋骨 北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展

神父と頭蓋骨

神父と頭蓋骨

あの「ハイペリオン」でも「聖テイヤール」として登場する、実在のイエズス会神父ピエール・テイヤール・シャルダンの、苦悩と発見にみちた生涯を、進化論の発展と受容の物語とともにまとめ上げた一冊。この夏一番の興奮をもたらしました。


ダン・シモンズによる、「ハイペリオン」に始まる一連のシリーズを読みながら常に感じたのは、それぞれの物語がなにか古典を参照し、そして変奏曲とも言える展開を見せる異です。それが「イーリアス」であったり新約聖書における「癒し人イエス」の成立の物語であったりするところはなんとなく理解できていたのですが、そういえば「聖テイヤール」という登場人物が、特に「ハイペリオンの没落」においては重要な物語の根幹を成すことに、本書を読んで改めて気づかされました。そして、そのテイヤール神父の物語こそ、シモンズが描き出したかった物語の重要な一部を成すのではないのか、ということも。


僕はこのテイヤール神父という人をまったく知らなかったのですが、その生涯は驚くべき展開を見せます。まずイエズス会の学校で信仰と科学の両面で素晴らしい才能を見せた彼は、神父として信仰の道に生きることを選びながらも、地質学の研究を継続してゆきます。そんな折、パリ自然史博物館の古生物学者ブールと知り合った彼は、古生物の化石の研究に没頭してゆきます。しかし、その研究は第一次世界大戦で中断されることになります。招集されフランスでドイツ軍との戦闘を目の当たりにしたテイヤールは、このような悲劇的残虐行為を理解しようとするためか、宇宙のあり方に関する大局的な考察をはじめるのです。


この「宇宙的生命」と題された詳論は、その内容の過激さによってイエズス会からは刊行を拒絶されてしまいます。しかし、ここでテイヤールは自分の中に「生まれつき汎神論的な魂」を見いだすことになります。僕の理解では、おそらくこの世界が「一つ」に修練してゆくという指向こそが、テイヤールに信仰と進化論との合一を可能にさせる、大きな契機だったのでは、と感じさせられました。


唐突に進化論の話をしてしまいましたが、本書の素晴らしいところは、テイヤールの生涯とその思想を語るにあたり、進化論がどのように発見され、そしてヨーロッパ社会、特にキリスト教的価値観と衝突し、そして受容されていったか、科学史的な視点で淡々と語ってゆく、その構成にあります。だって、全18章の本書でテイヤールが登場するのは第6章だし、終わりの2章はテイヤールが亡くなってからの進化論の発展に当てられています。おそらくこのような構成こそ、テイヤールという稀代の人物を捉えるには最適であり、またこれ以外の方法は無かったのでは、と思わされます。


「神父と頭蓋骨」という書名が示すとおり、本書の一つの大きな主題はテイヤールと「北京原人」の邂逅にあります。しかし、なぜテイヤールが北京原人と出会うことになったのか、そこにはイエズス会からのテイヤールの扱いなど、やはり彼自身の歴史が濃密に関連し、読み終わってみればそちらのほうが面白い。もともと数学者であり統計学で学位を取得した著者の、並々ならぬ力量をぞんぶんに感じさせられると共に、いつもながらこのような文章を書いてしまう人の、これまでの著作を読んでみたい、そんな思いに強くとらわれた一冊でした。