アガサ・クリスティー:ポアロのクリスマス

イギリスの田舎町にすむ偏屈親父の家に、ある年のクリスマス、息子や娘たちが招待される。みな彼と会うことをいやがるのだが、それぞれの理由で渋々やってくる。そこに、遠い親戚のスペイン人の若い女性や、偏屈親父が南アフリカで財を成した頃の友人の息子など、思わぬ訪問客も現れ、なんだかただならぬ雰囲気に。そんなとき、物語の神の要請通り、偏屈親父が異常な状況で殺されてしまう。


偉大なる翻訳ミステリサイト「翻訳ミステリ大賞シンジケート」で紹介されていた本書、そのあまりの紹介文の過激さに思わず手に取りました。なんたって、クリスティーが血みどろサスペンスを試み、結果としてバカミスになった、そんな感じなのですから。そして、読んで見た結果も、まったく同じものでした。一度は読んだはずの本書、バカミスとして読むと、それはそれで面白いなあ。


物語はいたって単純、相続という利害の対立を持つ兄弟たちが、それぞれの思惑を持ちつつ集まった親父の家で、クリスマスの前の夜に密室状態で親父が殺されてしまいます。さて、そのときにアリバイを持つもの、持たないものはだれか、そして動機はなにか、加えて謎の訪問者の本当の正体はなにか、謎はあまりにも明らかに提示されます。


なので、読み手としては物語の中で追求することは極めてわかりやすい。誰が嘘をつき、誰が本当は誰で、どこが「バカミス」的要素か、そこにつきるのです。しかし、やっぱりクリスティだなあと思わされたのは、これがなかなか一筋縄では解決しないところにあります。


クリスティと言えば、何を書かせても結局は人間関係の予定調和に落とし込み、不思議と心地よい気分にさせられる、そんな作家のように思っていました。本書は、そのクリスティが「血みどろ」サスペンスに挑んだとのこと、前書きにクリスティが堂々と宣言しているにもかかわらず、あんまり血みどろ感が感じられない。やっぱり、クリスティ的な幸せ感に包まれてる、そんな物語なのです。


そして本書のもっとも大きな山場であるところの「バカミス」ポイントですが、これは確かにものすごい。でも、初読時にはこのバカミス感には気がつかなかったなあ。結局面白かったのかと言われればとても面白かったのですが、その面白さに「バカミス」的要素が寄与しているかというと、そてはちょっと疑問があります。やっぱりこれはクリスティの世界であり、クリスティの世界はある種の不条理な予定調和が存在します。それが、犯人捜しという側面で強く打ち出されたのが本書なのではと感じました。でも、季節外れのクリスマスの物語も良いものです。ちょっと山口雅也氏の著作を思い出しました。あ、山口雅也氏はクリスティを意識していたのかなあ。