D. M. ディヴァイン:兄の殺人者

兄の殺人者 (創元推理文庫)

兄の殺人者 (創元推理文庫)

兄のオリバーが主催する弁護士事務所に勤務する主人公のサイモンは、ある晩突然オリバーに事務所に呼び出される。深い霧のなか、ようよう事務所にたどり着いたサイモンが目にしたものは、明らかに自殺を偽装した兄の射殺死体だった。しかもその後の警察の捜査によって、兄が卑劣な脅迫者であったことを示す物証が発見される。兄について、わがままであったが愛すべき人間であったと信じるサイモンは、兄の潔白と真犯人を追及すべく、事務所の仲間たちと犯人捜しをはじめることとなる。


「ウォリス家の殺人」や「災厄の紳士」で、こんなにも洗練され、なおかつ現代的な、という言い方が不適切であれば、様式美によりかからず文章のちからで勝負する作家がいたものか、とびっくりしたのですが、本書はそのディヴァインのデビュー作とのこと。アガサ・クリスティ絶賛とのことで、むしろ古めかしすぎるのではないかなとの懸念とともに読み出したのですが、始めの数頁はいくぶん時代がかった雰囲気にどうかな、と思わされたものの、またたくまに物語の世界にからみとられ、最後の最後までどきどきしながら読み通させられてしまいました。まったく、こんなに素敵な作家を発掘・復刊する創元社の慧眼には、ただただ恐れ入るのみであります。


冒頭からあっさり殺されてしまうオリバーは、いくぶん横暴でマイペースすぎるところがあるものの、サイモンには極めて優秀で愛すべき人物と捉えられています。オリバーは父から受け継いだ弁護士事務所を拡大することにも旺盛で、偏屈ではあるものの高い教養と深い知識を持つ大学教授や、妻と子どもを失ったために一度は引退した優秀な弁護士をパートナーにすることにより、どんどんと事務所の規模を拡大してゆきます。


そんななか、なかば強引に弁護士として兄の事務所で働くことになった主人公は、兄が殺された後に犯人を捜し始めるのですが、いまさらながら、兄がパートナーとして呼び込んだ人々が、極めて不思議な人々であったことに気がつかされます。しかも、大学教授の娘を一度は妻として迎えながらも、その父親の横暴な横やりによって別居を余儀なくされている主人公は、別居中の妻とのやりとりなど、プライヴェートの点からも大きな困難に直面することになります。


実際のところ、ディヴァインの作劇法の素晴らしいところは、殺人事件という極めて様式的な物語の形式の中に、これでもかというくらいに複雑で因縁を感じさせる人間関係を導入し、そしてその人間関係が犯人捜しのベクトルと、最終的に見事な調和を見せるところにあるように思えました。ぼくはクリスティーが大好きで、中学生の頃それこそ右から左へ読み尽くしたのですが、クリスティー的なある種の予定調和というか、安心して楽しむことのできる世界もとても素敵なのですが、ディヴァインの常に状況を揺さぶりつづける物語のほうが、今となってはむしろ推理小説という枠組みを使い切り、それどころかばらばらに解体してしまうような、力強さを感じさせられます。


しかし、こんな素晴らしい作家を、最近までまったく知らなかったと言うこと自体が不思議でたまりません。幼少のころより翻訳推理小説を読みあさっていましたが、ディヴァインを読んだことはなかったなあ。とにかく、推理小説にありがちな不条理さと形式の堅苦しさを、見事に打ち破り再構築するこの物語の力強さは、他に例を見ないように思います。解説によれば、今後も復刊と新刊の翻訳が出版されるとのこと。まさかこんなにクラシックな作家の作品を、待ち遠しく感じることになるとは思いもしませんでした。