永福一成:竹光侍

竹光侍 (小学館文庫)

竹光侍 (小学館文庫)

剣客である父親のもと剣術の腕前を磨いた瀬能宗一郎は、両親を殺され一人信濃から江戸へと逃れてくる。その足で、父から譲り受けた伝家の宝刀を売り払い、「かたぎ長屋」にもぐりこんだ宗一郎は、もちまえの田舎ものっぷりとひょうひょうとした性格で、どこか周囲の人間とずれたやりとりを行いつつ、道場破りやけんかの仲裁、大家の用心棒、そしてみちゆく蝶蝶を追いかけたりなどして日がな暮らしてゆく。


あの松本大洋氏の傑作連作漫画「竹光侍」の原作者が書き下ろした「竹光侍」の原作「竹光侍」、そのひょうひょうとした雰囲気は似通ったところがありますが、どこか松本バージョンとはちがった感触があります。それは、宗一郎の一人称で語られることばが、あまりに純朴であり、またあまりに刹那的であるからでしょうか。それはそれとして、物語の切れの良さは、松本バージョンに勝るとも劣らない素晴らしいものがありました。


物語は、主に隣に住む職人の息子勘吉の、宗一郎観察日記と言った趣ではじめのほうは展開します。あやしい隣人に不信感を覚えた勘助は密かに宗一郎の後をつけるのですが、なぜかいつも宗一郎には見つけられてしまう。そんなとき、突然けんかをふっかけられたり、不気味な男に襲われたりと、不穏な出来事が勃発します。


ここで、宗一郎がその極めてすぐれた剣術を披露するかと思いきや、ぜったいに披露しないところが本書のいちばんの楽しみどころでしょう。なぜなら宗一郎は剣を抜きたくても抜けないのですから。江戸に来た足で売り払った伝家の宝刀の代わりに、腰に差しているのは良くできた竹光、竹の棒に銀箔を張り付けただけのものなのです。


松本バージョンだと、宗一郎のこころもちはなかなか読者の前には明らかにされず、なにか不気味で不可解な男として描き出されているように思いますが、永福氏の描く宗一郎は、もうすこし茶目っ気があるというか、天然のおかしみを漂わせます。例えば、大家の用心棒として、悪徳金貸しの家にのりこみ、ゴロツキたちと対峙する場面。まず宗一郎がパチン、と鯉口を切ると、ゴロツキたちは一気に殺気立ちます。ついでカチリ、と刀身を鞘に引き戻すと、ゴロツキたちは力を抜いて逆に身体を少しのめり出します。

(某の気勢がわかるのか。この者たち一体どれほどの腕なのか・・・・・・)
気になるとどうあっても確かめずにはおられない。
これが兵法者、瀬能宗一郎である。
再び鯉口を切った。
カチリッ。
四人は同時にのけ反り、懐の中で匕首を握る。
パチン。
鞘に刀身を戻すと、ゴロツキたちは半身を乗り出して匕首を握る手が緩む。
カチリでのけ反り、パチンで乗り出す。
(面白い。これは面白い。やはり剣客とは違うなぁ。某の気を読んで間合いを計っているのではなく自然に身体が動いている。まるで人の気配を察する山の獣のようだ)

こんなかんじで、緊迫感の感じられないことこの上もありません。


このゆったりとした雰囲気も、本書の終盤では一気に緊迫度合いを上げてゆくことにはなるのですが、しかし全編に流れるゆるやかでおかしみのある、それでいて透明度の高い緊迫した文章は、なにか異なる世界を感じさせられずにはいられません。このあたり、松本大洋氏の作品も通じるものがあるように思います。いずれにせよ、独特の手触りを持つ本書、めちゃくちゃ面白い。