小松美彦、市野川容孝、田中智彦編:いのちの選択 今、考えたい脳死・臓器移植

いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植 (岩波ブックレット 782)

いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植 (岩波ブックレット 782)

基本的には現行の臓器移植法に反対の立場から、脳死とはなにか、臓器移植とはなにか、そして「生きている」とはなにか、さまざまな分野の研究者たちがその思いを述べたものに加え、近親者が臓器を提供した方の、その後の思いをまとめたもの。


臓器移植法案が改定されたとき、確かに大きな反対の声が上がったのは覚えてはいましたが、その内容はまったく理解していませんでした。そのためちょっとひっかかるところがあり、今回岩波ブックレットで本書を発見、税抜き600円と手に取りやすく、しかも薄くてさっと読めるので購入、ところが全然さっと読めません。


基本的には3部構成からなる本書は、第1部では香川知晶氏、小松美彦氏、田中智彦氏によって脳死・臓器移植に関する13の事柄が説明され、第2部では近親者の臓器を移植したことにより大きな喪失感と罪悪感を感じている方のインタビューが、そして第3部では14名の、研究者や医師たちによる臓器移植に関する様々な考えが述べられます。


それは、なかなか一つにはまとめられるような問題では無いのですが、僕の理解では、いくつかのポイントがあるように思えました。一つには、「脳死」判定の科学的な無根拠さないし不可能さ、次に「臓器移植」の件数を増やすことを追求することの非倫理性、また医学的に見た「臓器移植」の有効性への疑問と代替案の検討の意義、そして人の「死」、すなわち「生」とはどのようなことかという、根源的な問いかけです。


僕は当然、生と死に関する専門家ではないので、上記の事柄の専門的な部分について、判断をすることはできません。しかし、個人的には「死」に極めて近しく接し、自分のひじょうに近しい人が、その頬の暖かみをだんだんと失ってゆくことを経験した上で、いくつかの議論には大きくうなずかされるものがあります。その一方で対峙されるのが、臓器移植しか生存可能性を担保することができないとされる、難病で苦しむ人々の存在です。しかしここに、現行法の大きな欠陥が示されているように思えました。


上記のごとく、専門的な立場からも日常的な立場からも、僕たちには考えなければならないことがたくさんあるように思えます。一方で、臓器移植を待ち望むひとびとの思いは、1日も早く生き延びることを痛切に思ってやまないものであることは、想像を待ちません。でもやはり、本人の同意が無くとも家族の同意と反対が無いことを条件に、脳死判定と臓器移植解禁へ舵をとってしまった現行法には、拙速の印象を持たざるを得ないのです。


本法律によって恩恵を被る人々の存在は否定できませんが、例えばアメリカでは多くの小児臓器提供者が虐待によるものであること、また「脳死判定」によって治療を停止することを選ばなかった日本の医療が、優れた医療技術を考案したことなど、これまでの「脳死判定」基準の運用が生み出した歪みと恩恵の評価にあわせ、本法律によって被害を被るひとびとが存在するのか、または存在する可能性があるのか、今後の速やかなる検討が必要である、と感じさせられました。