佐々木譲:警官の紋章

警官の紋章 (ハルキ文庫)

警官の紋章 (ハルキ文庫)

北海道警の汚職を告発して閑職に追いやられた津久井、そして彼が道警によって殺されるのを秘密のチームを作ってまでとめた刑事佐伯、この二人が、こんどは洞爺湖サミットの直前に起きたテロ予告事件と、加えてなにか因縁を感じさせる若手警察官の職務離脱行為の捜査に巻き込まれることになる。一方で、かつてのチーム仲間である女性警官小嶋はテロ対象とされる大臣の警備につき、警視庁から派遣された美形刑事に恋心をいだく。そんな感じで、物事がもつれあいながら急激なテンションの高まりをみせるはなし。


いや、われながらこのようなまとめかたはひどいなあと思うのですが、べつにあらすじを書くつもりはありませんから。僕にはこう読めた、ということを記録するのが、この無駄を具現化したような文章の目的なのです。でも、それはそれとして、やっぱり佐々木氏の道警シリーズには、格別の思い入れがあり、本作にも面白いくらいにのめり込まされてしまいました。


「笑う警官」を最初に書店で見かけたとき、なんだかほがらかな警官の話かなあと思ったくらい、僕は佐々木氏の警察関係シリーズを知らなかったのですが、まあ読んで見たらもの凄い。すかさず「警察庁から来た男」を読み、しみじみ感動した一方で、情けないことに単行本を買うことは僕の読書生活の中で経済的な負荷が高すぎ、本書を買うことにためらいを感じつづけておりました。それが文庫化されたためすかさず購入し、案の定、至福の時間を過ごすことができたのです。


佐々木氏に限らず、いわゆる「警察小説」に感じる魅力は、組織としての規範が厳然と存在する中で、個々人のレベルに置いてはそれに忠実であったり、まったく不誠実であったり、そのはざまで苦しむ人がいたりと、ある意味で極めてわかりやすい秩序系とその周辺領域を、活き活きと描き出すことができるからなのではないか、と思います。というとなんだかまどろこしいですが、ようは、気恥ずかしいほどの真面目さが堂々と描かれているように思えるのです。これは、行政職の人々と日常的に仕事をしているという立場上、とても共感できるものがあります。


著者はそのように考えているかはわかりませんが、行政職の中でも特に「警察」という分野に関しては、規範的な形式が重んじられる部分が極めて強いように思います。その中で、一方では組織というものの硬直性や理不尽な論理も存在する。その狭間に、佐伯や津久井などの登場人物を立たせるという、その構成が、まず見事とと言うしかありません。なんだか、文句が言えないくらい納まりがよいのですよね。


同時に、読んでいて考えてしまうのは、本書、または道警シリーズは、北海道警の汚職事件をその大きなモティーフとして展開します。ちょっと心配になってしまうのは、物語としては極めてドラマティックな展開を約束する背景であり、なおかつそれが物語の牽引力として強力に作用してはいるのですが、これを現役の北海道警の職員さんたちがみたらどう思うのだろう、とちょっと心配になってしまいます。本書では、それでもそのスキャンダルが逆に提示した道警の自浄能力の力強さにも言及されるのですが、やっぱり道警スキャンダルが本シリーズの根幹を成すことは、否定できないような気がします。


それを前提として、やっぱり僕は警察官はかっこよいなあと思わされたことも事実です。当然、ここで描かれている警察官の姿は、よく「建築家」がドラマ等で描かれる姿と実際との姿の絶望的な断絶を感じさせられるがごとく、現実の世界とはまるで違うものなのかもしれません。でも、それでもやっぱり素敵だなあ、と思わされてしまうと言う意味で、これはこれで説得力のある物語だと思うのです。しかし、その素敵さを演出するために、道警スキャンダルをここまで蒸し返した場合、現場の士気はきちんと維持できるのか、心配になってしまうほど、本書の描写は迫真に迫っているのです。


実は道警スキャンダルについて何も知らなかったので、少し調べてみたのですが、現実的には「百条委員会」は開催されることはなく、なんとなく収束した事案だったようです。その意味では、本書尾中では「百条委員会」が実際に開かれ、そのなかで津久井内部告発を行うなど、パラレルワールドにおける物語が展開されているとも理解できます。そこが、現実とフィクションの一線をわかつ撰文として、作者によって周到に計算されている、そのやられっぱなしの感覚も、また本書の大きな魅力であると思いました。


なんだかんだ考えましたが、本書の僕にとっての魅力は、「公務員」小説であることのように思えます。「公務員」とはなにか。僕は、市民を対象としたサービス業だと考えます。それは、単にルーティーンをこなしてゆく職業ではなく、むしろコンサルティングからマネジメントまで、プランナーとしてその立場をぞんぶんにいかし、好き放題やっても良いのでは、また好き放題できる唯一のポジションであるように思えます。実際、行政と現場で仕事をしていると、いかに担当官の力によって、数十万人が暮らす都市のあり方が劇的に変わりうるのか、まざまざと見せつけられる瞬間が、少なからず存在するのです。


その文脈において、再び僕にとっては本書は「公務員」小説なのです。意外と外部の人にはわからぬ世界であり、一方で多大な裁量権を持つ、それが故に、民間の人々とは違った形の規範を求められる世界、そのような、なにかうまく割り切れない世界を、「警察」という舞台でもって見事に描き出しているのが、佐々木氏の道警シリーズのように思われます。単行本を購入する経済力が無いのが残念でたまりませんが、文庫は必ず購入するので、これからもどんどん文庫化を進めていただきたい、切にそう願う今日この頃であります。