佐々木俊尚:電子書籍の衝撃

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

kindleiPadに代表される「電子書籍」の流通のこれまでとこれからを、主に音楽の分野における流通の電子化の過程を追うことでわかりやすく解説し、また現在の出版業がどうしてここまで苦しいのか、そして今後どのように編集・出版の形はあるべきなのか論じたもの。


出版や編集、そして書店など、本にまつわることはとても気になって仕方が無く、全然関係ない分野ではあるのですが、そっち系のブログは日常的にチェックしています。そのなかで、本書については出版時から大きく話題になっていたのは知っていたのですが、なんとなく読まずにきてしまっていました。でも、とうとうiPad発売となると、これはもう読まなければならない。別にそんな知識拡充の必要性に従って読んだわけでもないのですが、結果的に、簡潔に状況をまとめきる著者の力量にすっかり巻き取られ、あっという間に読み終わると同時に、やっぱりiPadは買うしかないなあと思わさてしまいました。


著者まず、電子書籍が「生態系」として機能するためには、以下の四つの条件が必要であると述べます。

第一に、電子ブックを読むのに適した機器(デバイス)が普及していること。
第二に、本を購入し、読むための最適化されたプラットフォームが出現してくること。
第三に、有名作家か無名のアマチュアかという属性が剥ぎ取られ、本がフラット化していくこと。
第四に、電子ブックと読者が素晴らしい出会いの機会をもたらす新しいマッチングモデルが構築されてくること。

このようにまとめた上で、それぞれの条件のこれまでとこれからを俯瞰してゆくのですが、そもそもこのモデル自体が善くできているためか、個別の議論がとてもわかりやすい。


まずデバイスについて。アメリカではすでにkindleが普及していますが、それはデバイスの性能もさることながら、アマゾンの採った低価格戦略によるところが大きいこと、そしてそれとはまったく異なる形でアップルはiPadを普及させようともくろんでいることが語られます。これは第二の条件、「プラットフォーム」のあり方に直結し、ここでアップルのiTune Storeについて、詳しく言及されます。このアナロジカルな論理展開は、iTunesにすっかりのめり込まされてしまった僕には極めて理解がしやすいものがありました。


次の「本のフラット化」という条件は、これは僕にはあまりなじみのないものであり、ほんとかなあ、という気持ちにさせられる部分もあります。でも待てよ。例えば「神聖かまってちゃん」なんて、そういえば地上波で流れるずいぶん前から、ニコ動やyoutubeで観たことがあったよなあ。アルクアラウンドだって、youtubeでPVに衝撃を受けてから知ったわけで、それもいくつかのブログで絶賛されてたから存在を知ったわけです。その意味では、マスなメディアとはまったくかけ離れたところで音楽の流通はすでに始まっている。これが、著者の言う「フラット化」にあたるのかな。


などと考えながら、一番納得させられたのが第四の条件、著者と読者の幸せな出会いをもたらすマッチングモデルの議論でした。良く僕が聴かれることに、「どうしてこの本を見つけたの?」という疑問があります。大抵の場合、それはいくつか巡回しているブログにそのリソースは求められます。手続きとして、まずブログの文章が僕の趣味にあうかどうか、という選択があります。その文章が趣味にあうならば、そのブログの管理者が読んでいる本は、きっと僕の趣味にあうに違いない。そう思って本を選ぶと、これがたいていの場合はずれません。そういえば、こうやって本を選ぶようになったのなんて、実は最近のことなんですよね。ブログメディアが発達していなかった頃は、図書館か書店でざっと眺めて決め打ちで購入するか、または口コミベースで本を選んでいたように思います。


このような流れの中で、著者はいかに日本の現状の出版業界が苦境に陥ってしまい、その構造的なくびきから逃れることが難しいのか、ずいぶんと辛辣に、というと言い過ぎかも知れませんが、かなり冷静に分析してゆきます。この部分は、電子書籍とはまったく違う視点で、僕には面白いものでした。「取次」とか「再販制度」とか、定義的にはなんとなくわかるのだけれど実感としてはまったくわからない用語たちを、著者はおそらくずいぶんと単純化した形式ではあるでしょうが、わかりやすく説明してゆきます。


さて、では僕は紙媒体から電子書籍に移行するのでしょうか。正直、本書を読むまでは、まあそれはないなあと思っていました。だって、やっぱり僕は紙媒体に対する過剰な思い入れがあるし、活字の組み方や本の装丁など、ものとしての存在感を含め、本を愛しているからです。でも、本書を読むと、ちょっとその思いが揺らぐところがありました。一つには、電子書籍のライブラリが充実してくれば、転々と本屋をさまよいながら目当ての(大抵マニアックな)書籍を探すという手間がはぶけるのでは、という点です。だいたい僕が手元に置いておきたい、なんども読みたいと思う本は絶版なのです(例えば久間十義氏の「聖マリア・らぷそでぃ」や石川淳の「至福千年」など)。これがデータベース化されてくれるのであれば、どんどん他の人にも紹介できるし、まだ出会ったことのない傑作に巡り会えるかも知れません。だって、久生十蘭の新聞連載小説を置いているリアル書店なんて、存在しないですよね。ほんとうに傑作だと思うのですが。


同時に、電子書籍の普及に決定的に重要だと思わされたのが、第四の条件、読み手と電子ブックの幸せな邂逅をプロモートする環境の存在です。著者は、例えば往来堂書店さんや丸善の「松丸文庫」を挙げられていますが、僕もこの二つはとても気になっていました。ようは、「目利き」が存在し、その「目利き」さんたちが本のセレクトショップリアル書店でもオンライン書店でも、展開してゆくことが、リアルであれオンラインであれ、決定的に書籍流通にとって重要であることを、実感として感じてきたのです。


数年前、新宿に紀伊国屋の新店が出来、その後かその前か、ルミネにbk1が出店、そして伊勢丹前にジュンク堂も開店しました。その当時思っていたのは、ジュンク堂はとにかく何でも揃えていて、比べて紀伊国屋セレクトショップ的であり、bk1はどちらかというとはやりの本を置いてある、一番つまらない書店だなあということです。しかし、数年後に僕はその認識を改めはじめました。どういうことかというと、bk1の品揃えが目に見えて楽しく、刺激的になっていったのです。本書では、往来堂の初代店主安藤氏は、店主を公募で交替した後、bk1オンライン書店に移った(その後独自の会社を立ち上げたとのことですが)とのことで、その影響があるのかも知れませんが、とにかくbk1の品揃えは、棚を観ているだけでわくわくするような、刺激的なものになっていったように思えます。


著者は構造的に新刊点数が多くなってきてしまっていることを、書籍の流通のあり方に原因を求め、結果としてコンテンツの質の低下を招いているのではないか、と主張しているように思えますが、その解釈が正しいのであれば、僕もまったく賛成します。例えばマイクル・コナリーを探してみても、大抵の書店では最新作しか置いていない。あんなに素晴らしいリューインの作品だって、ほとんど代表作しか書店ではみることができないのです。僕からすれば、すでに莫大な優れたコンテンツがあるのに、なぜ出版不況と言われる事態が生じるのか、不思議でたまらないのですが、同時にこれほど矢継ぎ早に書かなくてもいいだろうと思われる作家さんや、そのためかだんだんと文章に力強さを感じなくなり、結果として読まなくなってしまう作家さんを見ると、まあしょうがないのかなあと思わざるを得ないところもあります。


だいたい、ハードカバーの値段設定が高すぎる気がするんですよね、先ほど装丁や活字、加えて紙質なども、僕にとっては本の選択の大きな要因であると書いたことと矛盾するかもしれませんが、ハードカバーってそんなに豪華である必要はあるのでしょうか。むしろ製作のコストを抑え、もう少し著者に利益を還元し、結果としてコンテンツの密度を上げてゆくこと、そういう方向の指向も必要なのではないかなあ。水村美苗さんなんて、もう30年ちかく創作活動をしていると思うのですが、創作はたった3作ですよ!しかも、そのどれもが素晴らしい。どうやって生活しているのか、まったく謎なのではありますが。


著者が今後の出版・編集業のありかたとしてお勧めするモデルは、小規模なチームによって、一人の才能あると思われる作家を、じっくりと育ててゆく、というものです。これは、上記の議論と関係して、僕にはとても腑に落ちるものがありました。このような、現状の出版業界と、今後展開が予想される電子書籍のマーケットの競合については、当然生じるでしょうし、著者もあまり深くは言及していないように思うのですが、読み手からすれば、コンテンツさえ質が高ければ、紙であろうがデータであろうが売れるでしょうし、出版社のコスト管理さえ上手に整理すれば、実際に読まれる文章の送料は増えているわけですから、未来はむしろ明るいのでは、と思わされてしまいました。まあ、出版・編集の現場にいる方たちにとっては、そんなに単純なはなしではないのだろうと思いますが。


本日の購入本は、本書に加えダン・シモンズエンディミオン 上」、桜庭一樹「赤朽葉の伝説」、佐々木譲「警官の紋章」の四冊。どれもこれも、素晴らしいとしか言いようがありません。最近はマイクル・コナリーにどっぷりはまってしまっていますし、新書メディアも、善し悪しはありますが、ほぼ新聞や月刊誌の代替品として、充分に価値ある情報を提供してくれています。でも、書店に並んでいるのは例のあれなんですよねえ。読んだことがないからそれ自体にはなんともコメントできませんが、少なくともこれほど豊かなコンテンツがあるのに、販売促進の方法が有名作家の新作に頼りっきりというのは、体感的になにかおかしなものを感じてしまいます。また、その販売促進費用が他の書籍の流通を疎外しているのならば、それはそれであんまり良いことではありませんよね。その意味でも、今後の電子書籍の展開には、結構期待が持てるのではないかと、本書を読み終えた後に感じたのでした。