桜庭一樹:私の男

私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

9才のときに震災で家族をすべて失った花は、16才年上の腐野淳吾にひきとられ、「おとうさん」と呼び習わすように。その後北海道から東京に移りひっそりと暮らす二人の生活は、花の結婚という一つのクライマックスを迎えることになる。その、結婚前夜と直後の花によって語りはじめられる本書は、語り手をかえつつ、花と淳吾の世界をさかのぼってゆく。


あまりの衝撃に、本書は感想などかくことかなわないなあと思ってしまったのですが、そうだ、これは「記録」だ!と思いやっぱり記録することに。ずいぶんと衝撃的な内容なので、こころ穏やかに暮らしたい人は、以下の記述を読むことをお勧めいたしません。


本書は、花と淳吾の性的な関係について、どのようにそれがはぐくまれていったのか、そしてどうしてそのような関係が成立するにいたったのか、時系列をさかのぼるという技巧的手段によりつつも、力強く、二人の人間のありかたを描ききったものだと思えました。本書によって描き出される世界は、最後の章を読み進めるまではどのような構成を持つのか、はっきりとはけっして示されないのですが、時をさかのぼることによって少しずつはげ落ちてゆく日常と、それにもまして密度を高める官能は、ある種の推理小説的な力強さも持つのですが、一方で読めば読むほど絶望的な気持ちにたたき落とされることになるという、あまり元気ではないときにはとても耐えきれない性質を持つものです。そして、ぼくはあまり元気ではなかった。。


はじめは、まるでヒモのように見える淳吾と、あくまで自分を殺し続け、ひっそりと暮らす花の、二人が対照的に描き出されます。そこに「良いとこのおぼっちゃん」である婚約者の男が現れ、ああ、これから物語はぎくしゃくしてゆくのかと思った瞬間、その次の章では婚約者の男の目から見た花と淳吾の世界が語られます。ここでは、不思議と落ち着き、そして安定に見える二人の世界が、その世界にはまったく感度の無い男の視点から描き出されることで、たんたんと、しかし美しく描写されます。


その後も様々な視点によって描き出される二人の世界は、しかしすぐさまにその不穏な雰囲気をあらわなものとしてゆきます。そして、読み手としてもっとも落ち着かない気分にさせられたのが、花と淳吾の性交渉の展開が、どんどん若返ってゆくところにあります。そして、桜庭氏の描き出す世界の痛々しさは、どんどんその刃を鋭くしてゆく。


まちがいなく傑作だと思われる本書は、しかしその「傑作性」とでも言うべき性質によって、誰にでも受け入れられる物語では無いでしょう。正直、書店に平積みになっておかれている本書をみると、ぞっとするような恐ろしさがこみ上げてくる気持ちを抑えることはできません。このような力強い作品が淡々と出版され、そして文庫化される日本の書籍の世界を見るに、なんて豊かな広がりを持つんだろうと思わされると同時に、ほんとうに本が売れないのか、不思議になってしまうことも確かです。
そして、ぼくはすかさず書店に行って「赤朽葉家の伝説」を買うのだ。