ダン・シモンズ:ハイペリオンの没落 上・下

ハイペリオンの没落〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ハイペリオンの没落〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ハイペリオンの没落〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ハイペリオンの没落〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

前作「ハイペリオン」で描かれた6人の巡礼者たちのその後が、人類連邦全体の直面した大変な困難とともに描かれる、いわば前作の解決篇のような物語。


前作では、7人(すぐに6人になってしまうけれど)の「巡礼者」たちそれぞれの視点で、それぞれの物語が展開されるという、一種の群像劇の体裁が採用されていましたが、それに続く本書では、ジョン・キースの復元人格と思われる一人の青年の視点によって、巡礼者たちの遭遇する様々な困難や、連邦が直面する危機的な事態が描かれ、前作ではほのめかされる、もしくは提示されるにとどまった物語世界ぜんたいのつじつまが、一挙に解決されてゆくことになります。


前作は、完全に巡礼者それぞれの経験する不合理にみちた運命が主題だったように思えますが(それがゆえにユダヤ教的側面が強調されすぎているようにも思えましたが)、本作ではむしろそれらの物語が、舞台となる世界においてどのような意味をもつのか、緻密に、なおかつ構成されすぎない躍動感を持って解き明かされてゆきます。正直、「ハイペリオン」を読んだときには、この作者絶対きちんと物語の落としどころを考えてないよと感じさせられたけど、まったく良い意味でその懸念は裏切られることになりました。


「没落」を読んでみたあとでは、本書の主題は「神」なるものの否定、もしくは相対化にあるように思います。と同時に、理不尽な「神」の存在をどのように受容することができるのか、そのなかでの人間の行いというものをどのように肯定、または規定すべきなのか、そのような問いが込められている。結局のところ、旧約聖書の世界と、特にアブラハムと息子のエピソードを現代に生きる人間がどのように解釈するべきなのか、またはユダヤ人の放浪と「服従」の物語を、どのようにSFの世界で解釈できるのか、果敢に取り組んでみた、そんな物語であったように思われます。


物語としては、巡礼者たちが向かう「時間の墓標」が存在する惑星「ハイペリオン」が、ある時点で主流人類から離脱しながら深化することを選んだ「亜流」人類「アウスター」に攻撃されるところから物語は始まります。読み進むうちに、ここには「AI」という、人間から作り出され、その後人類からは独立した権力と思考回路を持つステークホルダーが存在することがわかってくる。ここにきて、物語は「ハイペリオン」を核とした、人類・アルスター・AIの三つどもえの神経戦を描き出すことになります。


面白いのは、物語でいちばん神学的な議論を展開するのが、AIの世界の登場人物たちであるということです。これには必ずしもAIが作り出した擬似的人格だけでなく、物語の要請上AIの世界にダイブすることを余儀なくされた巡礼者の一人も含まれます。ここで延々議論される究極知性体としてのUIや、人間がその後作り出すと思われる人間のUIなどは、物語の文脈上は「神」の再構成とも思われるのですが、どうやらそんなに単純でもないらしい。作者は、おそらく「神」の概念の再解釈を試みつつ、やはり極めて人間的な営みの限界と美しさを描き出したかったのではないか、そんな気分にとらわれました。


結局のところ、読み通した上でも僕にはよくわからないことが残ったことも事実で、結局「シュライク」ってなんなのか、「時間の墓標」が開くって具体的にどういうことよ、「速贄の樹」って結局なんだったのなど、よく読めば解釈可能と思われることどもが、いまいち理解できていないことも否定できません。でも、文句無しに面白い。このようなディテール(おそらくそんなにディテールではなくメジャーな物語の構成要素だとは思うのだけれど)に悩むことなく、素直に物語の力強さに身を任せ、作者にされるがままに文章に沈みこまされることができる、そんな一冊でした。こういう没入度の高い物語を読んでいると、物語の世界の方が、リアルな人生より現実感を持って感じられてしまう、あやうくそんな気分にさせられました。