マイクル・コナリー:リンカーン弁護士 上・下

リンカーン弁護士(上) (講談社文庫)

リンカーン弁護士(上) (講談社文庫)

リンカーン弁護士(下) (講談社文庫)

リンカーン弁護士(下) (講談社文庫)

事務所を持たず、アメ車リンカーンを乗り回しながら仕事を行う弁護士ミッキー・ハラーは、ある日女性を暴行したとされる男の弁護を依頼される。その報酬の良さにおののきながらも仕事を始めた彼は、依頼人が悪略非道な殺人鬼であること、そして自分の顧客の一人が無実の罪で収監されたことに気がついてしまうのだけれど、依頼人からのさまざまな工作によって、どうしても無罪を勝ち取らなければならなくなり、極端なダブルバインド状態に陥るはなし。


マイケル・コナリーの最高傑作として本書を聞いたことはあったのですが、近所の書店に見つけることができず、最近研究会のみちすがらに立ち寄ったお茶の水丸善で本書を発見、喜び勇んで買い求めて見たところ、まんまと睡眠時間を削りながら読み通す羽目に陥ってしまいました。やっぱり僕は丸善さんが大好きです。


上下巻にわたり、アメリカの弁護士事情のどうしようもなさを暴露し続ける本書は、それだけでも読むに値すると思うのですが、僕がもっとも共感した描写は、主人公の精神的な状態が跳ね上がったり落ち込んだり、ふらつき続けながらも道を探そうとする、まるで救いのない状況に対するものだと思われます。特に、うまくいったぜ!と主人公が感じた直後に、必ず厄災がふりかかり、原にずしんと来る重みが描かれる場面など、どう考えても法規的にうまくいかない物件に対し、クライアントが栃を買ってしまった時の自分の気持ちが思い返され、なんとも言えない気分にさせられてしまいました。でも、そこが本書の素晴らしいところだと思います。


物語の構成は複雑を極め、無実のクライアントを有罪にしてしまった主人公が、どう考えても有罪のクライアントを無実にしなければならない、というどうにもならない状況の中で、元妻は検事であり、その後に再婚してすぐさま分かれた女性は事務所の事務を担当するという、端から見ればどうでもよいのだけれど、主人公の苦悩だけはびしばしと伝わってくる状況が展開されます。しかも、からみあったことどもはわずかながらしかその糸口をみせず、最後の最後まで状況を把握することはできません。


だからこそ、終盤まで駆け抜けるように読ませるところが本書の素晴らしいところだとは思いますが、それを認めた上で、一つ思うのは、なんだかあざとすぎるのではないかなあということです。いや、まちがいなく切れ味ある展開と構成の妙は、目が覚めるような気持ちにさせてくれるものがあるのですが、なんだか著者の手のひらで踊らされているような悔しさ、みたいなものを感じてしまうことも確かなのです。同じマイクルでも、リューインのような脱力感と情けなさを感じさせるわけでもなく、人間的な弱さを感じさせつつも、基本はモテモテみたいな主人公のありようには、いくぶん物語のご都合主義的なありかたを感じさせられずにはいられません。


でもしかし、逆接の助詞を繰り返すのもなんなんですが、やっぱり面白いのですよねえ。LAの街並みの描写の活き活きとしたありかたも素敵ですし、主人公が巻き込まれるあまりにも人間的な展開も、なんともいえない喜びのような、それでいてカタルシスをぞんぶんに感じさせるものがあるのです。あんまりこんな物語を書かない方がよいのではないか、そんなおせっかいな気分にさせられる一冊ではありましたが、この年になってこんな素敵な物語に巡り会える幸運を、ぞんぶんに感じさせてもらえる一冊でした。古沢嘉道氏の翻訳も、日本語としての息の深さを感じさせつつ、LAの雰囲気を余すとこなく伝える職人芸的なもので、これぞ翻訳、と思わされるものがありました。物語を、楽しんで翻訳している気分が伝わってくる文章は、読んでいてほんとうに幸せなものなのです。