千早茜:魚神

魚神

魚神

現世から隔絶された島には、公認の遊郭があった。そこには本土から多くの客がやってくる。その島で、ひろわれっことして育った「姉弟」の白亜とスケキヨは、どちらも売り飛ばされる運命にあった。そして二人が離ればなれになり、白亜は遊女として、スケキヨは陰間茶屋の売り子として生きることになったとき、二人の間には、なにか不可思議な、つよい絆が生じることになる。


どこの書評で読んだのか、とても印象に残る本書を読んだのはつい最近のことなのですが、こんな素敵な物語をいままで読んでいなかったことを幸せに思うほどの、強烈な作品でした。とにかく、嘆美趣味と語り口の美しさ、そして物語のもたらすカタルシスがこの上もなく心地よい。


物語は単純で、古典的な「安寿と厨子王」物語の変奏曲と解釈することができます。できますが、だからこそ、本書の恐ろしさがあらわれている。本書では、姉は遊郭に売り飛ばされ離人的な日々を送るのですが、陰間茶屋に売られた弟は、まるで神が舞い降りたような策略を講じてその状況から逃げ出し、舞台である不思議な島を影で支配する薬売りとして生計を立てるようになります。一方で白亜が日常的に経験するのは、郭の中での陰惨なやりとりに終始するのですが、そこにはあらゆる側面で死の香りが漂う気がしてなりません。


物語としては最終的にある種のハッピーエンドを迎えるのですが、僕にはどうしてもそう読むことはできませんでした。とにかく、白亜の体験するできごとの数々は、とても生きる人の経験することとは思えない。いったい白亜は何度死んだのか、そんな思いかられることを免れ得ぬのは、やはり「安寿と厨子王」の世界からのインスパイアが強すぎるからなのでしょうか。


しかし、本書は単に耽美的で残酷な世界に漂う物語を展開するわけではありません。この物語を構成する言葉ひとつひとつの息づかい、それぞれの応対、そして総体として織りなす世界の美しさが、本書の深く深いカタルシスを、むしろ浄化する方向に導いているように思えます。相変わらず何を書いているのか我ながらよくわかりませんが、とにかく本書の美しさは特筆すべきものがあります。これだけの世界を、描ききることができる筆者の作劇法には、なにか思い詰めすぎていませんか、と尋ねたくなるくらいの力強さが感じられてしまうのです。


しかし、白亜はいったい何度死んだのだろう。この物語は、いったいどこまでが生者によって、どこからが死者によって語られたのか、どうしても考えさせられてしまいます。その意味では、最終的に物語を「語り」すぎているような気もするのだけれども、それでもそれをそれとして読ませてしまう筆者の筆遣いには、ただただ息をのむばかりであります。