佐々木譲:昭南島に蘭ありや 上・下

昭南島に蘭ありや〈上〉 (中公文庫)

昭南島に蘭ありや〈上〉 (中公文庫)

昭南島に蘭ありや〈下〉 (中公文庫)

昭南島に蘭ありや〈下〉 (中公文庫)

イギリス植民地下のシンガポールで貿易を営む日本人一家のなかで、家族同然に育てられた台湾出身の青年梁光前は、一家の娘である摩耶に淡い憧れを抱きはじめる。そんななか、日本軍の英米への宣戦布告と南進によって一家は収容所にばらばらになり、収容をまぬがれた光前は、その後の日本のシンガポール占領から撤退後の混乱にかけて、自分の出自と戦争のもたらす奔流に、勢いよく翻弄されてゆくことになる。

強烈でした。このように太平洋戦争での日本の侵略行為を描いた物語を読んだのは、おそらく初めてのことです。主人公が日本の植民地支配下にある台湾出身の華僑という設定に、この語りの力強さが生み出されるおおきな契機があるのだとは思いますが、これはまさに、小森陽一先生曰くの「境界線上の文学」以外のなにものでもありません。


前述のごとく、主人公は台湾出身の華僑で、イギリス植民地化のシンガポールで日本人の家族と暮らし働くという、故郷を喪失した状況におかれています。この状況は、まさに国民国家の成立と戦争という、近代の大きな暴力的制度の産物と言えますが、これが太平洋戦争の勃発によって、さらにその悲劇的な色合いを強めてゆくことになります。


英米への宣戦布告によって日本人が敵性市民となり収容されるなか、主人公はどっちつかづの立場で街をさまよい、そして恩のある家族のために奔走します。しかしそれが仇となり、知らぬ間にスパイ行為に荷担し警察から追われる身となった彼は、華僑義勇兵としてイギリス軍の一部となり、日本軍のシンガポール侵略に命がけで抵抗する羽目に陥ります。その後も、日本軍がシンガポールを侵略した後の華僑の虐殺を見せつけられたり、命がけで闘った仲間に裏切り者と見なされたり、主人公はどこにいてもいつの時も、自分が属する世界をみつけることができず、物語はある種破滅的な展開を見せてゆくことになります。


そこに一片の救いの糸として現れるのが、中国人娼婦の麗娜です。彼女もまた、極めて社会から疎外された存在として描かれるのですが、日本人の娘に思いを捨てぬ光前を、多大な嫉妬は見せつつもなぜか支援し続けます。物語としては、これでもかという日本軍の軍規の乱れや、イギリス人のアジア人に対する蔑視、そして日本の援助を受けたチャンドラ・ボースのインド独立への闘いなど、すべてに近代国民国家成立がもたらした暴力と混乱が横溢するのですが、そこに唯一、救いをもたらすのが彼女であり、彼女の観音信仰なのです。


しかし、シンガポールの日本統治下の状況など、まったく知識のないことがらで、読んでいてなんだか恥ずかしい思いにとらわれる一冊でした。これがどれだけ「正しい」記述なのか、読んでいるだけではまったく判断できませんが、少なくともなにか「正しい」ことが存在する、ということをけっして主張せず、むしろその可能性を否定し続ける作者の姿勢には、外部から規定されるのではない主体のありかたと、また様々な主体の多様なあり方の必要性を、強く感じさせられました。また本書を読まなければ、けっしてマレー戦の概略なんて、知識として知ることも無かったこともまちがいありません。歴史が「語られる」ものなのであれば、むしろ「語られた」歴史から世界を見ることも、また一つの方法なのではないかと思わされる物語でした。