桜庭一樹:砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

ある日突然中学にやってきた転校生の名前は海野藻屑。この絶望的な名前をつけられた13才の少女は、転校初日から奇矯な言動で周囲を驚かせる。そんな彼女に唯一興味を示さない主人公の山田なぎさは、人生を生き抜くための「実弾」探しで忙しいのだが、なぜか海野藻屑になつかれることになり、奇妙な友情をはぐくんでゆくこととなる。そして1ヶ月後、バラバラ遺体となった海野藻屑を山田なぎさが見つけるはなし。


後書きによれば、おそらくGOSICKを執筆中にふとわき出て書いてしまった物語とのこと。なにか、物語はこうやって生まれるんだろうなあと思わせられる、残酷で美しく理不尽で潔い、とにかく胸を射貫かれるような、衝撃的な一冊でした。GOSICKシリーズ以外の筆者の作品は「少女には向かない職業」と「ブルースカイ」しか読んだことが無くて、特に前者はその鋭い切れ味に強い印象を受けましたが、本作の強さはちょっと振り切れている。いままでなぜ読まなかったのか、不思議に思えるくらいに魅力的な本作には、破壊力としては舞城王太郎のテンションをぶっとばすくらいの威力を感じさせます。


「海野藻屑」という女子中学生のバラバラ遺体が発見される新聞記事より語りはじめられるこの物語は、海野藻屑という、自分を「ぼく」と呼び、人魚であると自称し、また強烈な虐待にさらされていると思われる少女と、その少女に関わるつもりはまったくなく、パートで忙しい母とひきこもりで神のように美しい兄を持つ山田なぎさという、こちらもある意味で壊れてしまった少女の、まったくすれちがいながらもどこかで共通し、痛々しくも楽天的に生きる様を描いてゆきます。


でもほんとうに不思議な小説で、例えば主人公の一人称で語られる物語の語り口は、なにか諧謔にあふれ暗さを感じさせません。それどころか、どこか物事を遠くから眺めているかのような主人公のまなざしは、痛々しい世界を不思議と明るく、もしくは諧謔味あふれたものとして変換してゆくように思えます。また海野藻屑も痛々しさの固まりのようなキャラクターなのだけれど、主人公から見れば彼女は「砂糖菓子の弾丸」を打ち続ける、ひとりの無力で、なおかつある種の優しさを持った存在として描写されてゆきます。


また引きこもりの兄は、どう考えてもどうしようも無いのだけれど、主人公からすれば神の視点を持った貴公子さまで、人間離れしたその言動は、世の中を透徹とした視線で見ることのゆらぎなさを感じさせます。このような、どことなく異常なのだけれど、しかし日常として淡々と展開してゆく本作は、始まりの時点から破滅的な展開を運命づけられている。しかし、読み終わった後のこの感動は、あまりにも強烈で、なんとも理解しがたい気分がわき上がってくるのを感じざるを得ませんでした。


ありきたりな分析をすれば、本作は「サヴァイヴァー」である主人公が、自分が「サヴァイヴァー」となってしまった瞬間を思い起こしながら、書き綴った物語のように思えます。それはどうしようもない運命をどのように受容することができるのか、またその中での劇的なる世界の変貌をどのように受け止めることができるのか、もしくは受け止めることが不可能なのか、その一点を追求するために綴られた物語ではないかなあ。それは「カタルシス」と言ってしまえばそれまでのような気がしてしまい、その一言では片づけたくない何かが、ここにはあるように感じられます。これは予定調和的な「悲劇」を表現したものではなく、むしろ予定調和的な理不尽さに引き裂かれてゆく人間たちを、同時代的な言葉で明るく残虐に、だからこそ異様なリアリティーをもって描き出したもののように思えました。これを執筆しているとき、作者はきっとこころから楽しかったのではないか、そんな不穏な気がしてなりません。