戸谷由麻:東京裁判 第二次世界大戦後の法と正義の追求

東京裁判―第二次大戦後の法と正義の追求

東京裁判―第二次大戦後の法と正義の追求

「勝者の裁き」として言及されることの多い東京裁判について、裁判過程における一次資料を丁寧に検証することにより、その実態と国際人道法にあたえた影響を検証したもの。


今日はなんだかだるいので、午前中は読書でもして午後から出勤、雑用でもやっつけようかと思っていたのですが、おもわず手に取った本書についついのめり込み、気がついたらまたたくまに夕刻が近づいておりました。本書はY兄より年始にお宅に伺った折にお借りしていたものの、なんとなく暗めな表紙と分厚さに気圧され、いままでダイニングテーブルの一角に陣取ったままだったのですが、これほど読みやすく、また刺激的な内容とは思いませんでした。面白かった。


著者は、様々な言説によって本質が見えなくなっていると思われる東京裁判について、その記録を詳細に調べることから、まずどのような構成で裁判が行われ、そしてどのような法廷でのやりとりがあり、その結果どのような判決が下されたのか、事細かに明らかにしてゆきます。そのような詳細の描写が、裁判官や弁護士、証人や証拠にとどまらず、裁判所として使われた建物の内装にまで至るところがものすごい。そのような一つ一つの事柄から東京裁判を再構成することで、おそらく著者は予断としての「東京裁判」を許さない、非常に高い純度で対象化された東京裁判を再現したかったのではないでしょうか。


その結果見えてくる姿としては、例えばこれは単に戦勝国、特にアメリカによって日本の戦争犯罪人が裁かれた裁判と言うことではなく、インドや中国、フィリピンも含む多国籍の判事からなる裁判であったこと、弁護人には日本人だけではなくアメリカ人も参加し極めて論理的で真摯な議論が行われたことなどが挙げられます。そしてアメリカは日本を犯罪国家、または一部の日本人を犯罪者として断罪すると言うよりは、むしろ天皇の戦争責任や原爆の問題、そして連合国側の戦争犯罪への波及をおそれ、むしろサボタージュとも言える立場であったため、イギリスやオーストラリアなどの代表が公正な裁判を構成すべく多大な努力を行ったことなどが述べられます。


しかし、本書の記述の圧倒的な確かさを保証するものは、日本の残虐行為に関する各国の判事の示す圧倒的な証拠にあります。日本がポツダム宣言を受諾してから降伏するまでの間機密書類をことごとく焼却したことや、裁判が始まるまで米軍が書類(つまり証拠)の収集をおこたり尋問にいたずらに時間を費やしたことなどにより、各国の判事たちは様々な手段を使って日本軍の行った残虐行為を示す努力を行います。それは証言によるものであったり書類によるものであったりと、形式としては様々なのですが、本書が示すものは、それらの行為が明らかに組織的であったこと、また戦争の幅広い時間軸の中で、非人道的なことがらが日常的に行われてきたことであり、またそれが、弁護人と被告がほとんど反論しないことよって、被告たち自らによって肯定されているという事実です。


東京裁判」は決して「勝者の裁き」ではなく、むしろ公正な手法に則って行われ、その後の戦争犯罪に対する範例となるべき事例であったとの著者の指摘は極めてもっともだと思うのですが、僕は法律の専門家でもないため、それがどのように現在的に意味を持つのか、あまり実感として理解することはできませんでした。むしろ考えさせられるのは、なぜこれまでに日本軍に人道的意識が無く、また多くの場所で、多くの人々が非人道的な行いに荷担するに至ったのか、またそのような出来事が、なぜ反省とともに語られ、後世への教訓として示されることが今に至るまで少ないのか、その一点につきます。返す返すも残念なのは、やはり日本軍による機密書類の焼却によって、直接的な証拠の多くが失われてしまったことでしょう。これにより、戦争責任どころか戦争犯罪の在処も解釈の世界に回収され、自らの都合の良い言説へと変換されてしまったのではないか、それによっていまだに日本における戦争の悲惨さの受容は成されていないのではないか、そんな気もする一方で、おそらくかなりの若手の研究者とも思える著者が、このような大著を世に示してくれたことに、少しだけ、救われる思いも感じさせられました。