サイモン・シン:宇宙創成 上・下

宇宙創成(上) (新潮文庫)

宇宙創成(上) (新潮文庫)

宇宙創成(下) (新潮文庫)

宇宙創成(下) (新潮文庫)

古代ギリシャから現代にいたるまで、「宇宙」がどのように理解され、またその「宇宙像」がどのように変貌を遂げ今に至るのか、小難しい内容をあいかわらずのドラマティックな筆致で活き活きと描き出したもの。


これでサイモン・シン氏の翻訳は、出版されている限りで読み尽くしてしまったと思いますが、これまで読んできた作品と同じく、本作もしっかりとした読み応えを感じさせつつ、ぐいぐいとともすれば形而上学的世界に読み手を誘い込む文章の妙に、すっかり没入させられてしまいました。


とは言っても、本作は宇宙の構成や起源という、極めて抽象的な世界を議論の中心に据えたためか、他の著作にくらべ幾分理屈っぽいというか、正直読みながら頑張って考えてみないとよくわからず、部分的には結局よくわからないままに終わった箇所もいくつかありました。しかし、内容を理解できるかどうかは、本書がもたらす豊かさと楽しさとは別の次元のように思います。というか、そのように思いたい。


本書は、いつものごとく様々な人々の様々な行いを、決してレトロスペクティブに淡々とまとめるのではなく、そのとき何が起こり、人々が何を考えたのか、ということを、その場所に居合わせたのごとくある種生々しく、また極めて鮮明に描き出してゆくものなのです。そこでは数々の成功と失敗が語られますが、サイモン・シン氏は何が成功で何が失敗であったか、あまりこだわらないで物語を薦めてゆくように思います。むしろ、どのうような態度が誰にもわからなかった事柄を明らかにしていったのか、またそのような状況を作り出す背景には何があったのか、「宇宙」という大きな素材を用いることで、その周囲に生起した出来事を再構成しわかりやすく提示する、そのような作業を行っているように思えます。言い方を変えれば、これは「宇宙」に関する技術の物語ではなく、「宇宙」を軸とした「歴史」の記述の一つの手法のように思えるのです。


それと関連することに、例えば宇宙の研究と戦争との深いつながりがあります。あるアメリカに亡命した研究者は、戦時中に自分一人しか天文学を研究していないことに気がつくのですが、それは彼が一時ソ連の将校として物理を教えていたためであり、他の研究者はロスアラモスで原子爆弾の開発をしていたためだったからであることや、太陽の黒点から放たれる電波はレーダーの精度を上げる研究に従事していた研究者が偶然発見したことなどが、本書には具体的な事例として挙げられます。このようなエピソードを読むと、なにか柳広司氏の「新世界」を思い出すと同時に、「役に立つ」ということばがどれほど危険なものか、やはり考えさせられてしまうのです。