デボラ・ブラム:幽霊を捕まえようとした科学者たち

幽霊を捕まえようとした科学者たち (文春文庫)

幽霊を捕まえようとした科学者たち (文春文庫)

「ねじの回転」で著名なヘンリー・ジェイムズの兄であるウィリアム・ジェイムズを中心に、心霊現象を「科学的に」実証しようと試みた科学者たちの、真摯な探求を描いたもの。


おそらく事故で亡くなったと思われる女の子が、自分の居場所をお母さんの夢で知らせたというエピソードから始まる本書は、主に19世紀後半から20世紀初頭まで、イギリスとアメリカで行われた「心霊研究」を、ドキュメンタリーの形で解きほぐしてゆきます。そこでの主要な登場人物たちは、上記のウィリアム・ジェイムズに加え、トリニティ・カレッジ創設に奮闘したヘンリー・シジウィック、哲学者のフレデリック・マイヤーズ、進化論の生みの親の一人であるアルフレッド・ラッセル・ウォルス、クルックス管の発明者であるウィリアム・クルックス、ノーベル賞受賞者のシャルル・リシュなど、そうそうたる面々です。本書のおもしろみは、これらの人々の探求を外側から描くのではなく、徹底した文献調査により、彼ら彼女らの生きていた時代と価値観の中から、その意味を問い直そうとする姿勢にあるように思います。


初めのうち、これは科学的調査手法が未発達な時代において、「霊媒」たちにころっとだまされてしまった科学者たちのナイーブさを描き出すものかと思って読んでいたのですが、すぐにその想定がまったく的外れだったことに気がつかされました。著者は、「科学では説明のつかない」出来事を、まさに科学の進展につながるのでは、と考え真剣に分析を行う科学者たちの姿を描き出します。皮肉にも、その努力は往々にして「職業霊媒者」たちのインチキを暴き出すことに帰結することがほとんどであったという事実が、その真摯な姿を裏付けてゆきます。


一方で、上記のごとくあまりにも高名な科学者たちが心霊現象の研究にのめりこんでいった理由は、おそらく宗教と科学の決定的な分岐において、あくまで唯物論的な「科学的」思考と、宗教的なる価値観との間に、大きな疑問を感じた科学者たちの葛藤にあることが、本書からはうかがい知ることができます。この意味において、本書は「ニセ科学」などの欺瞞を告発するような一連の出版物とは、大きく性格を異にするように思えました。


まず感じたのが、これはサイモン・シン福岡伸一氏など、「正統的」科学者の栄光と挫折の物語とは、大きくことなるものだ、ということです。これらの人々の描き出す世界が、欺瞞や失敗のエピソードに彩られているとはいえ何らかの「成功」を収めた人々を中心としているのに比べ、本書で描かれている人々の努力は、現在に至るまで決して評価、または認知すらされていないと思われます。だからといって妄信的に何かにのめり込んだわけでもなく、科学者的良心に従って研究を進めていたとしか思えない人々の姿は、こういうあり方もあるんだと、なにか心強く思わされるものがありました。


また読み進めるうちに強く感じさせられたのが、森達也氏の「職業欄はエスパー」との相似形的関係です。森氏はいわゆる「エスパー」と呼ばれた人々に直接インタビューを試み、どのような世界を生きているのか、彼ら彼女らの言葉の真偽性に予断を挟まず描き出してゆくのですが、本書はそのような試みの文献調査バージョンに思えました。著者は、いくつかの「科学的に説明不可能な」事例について、それを非科学的だともあり得ないとも断定することなく、淡々と資料の中から掘り起こしてゆきます。このような姿勢は、正直とても微妙なところで、ある種の価値観を偏見無しに受け入れるというところはとても賛成ができるのですが、しかしやっぱり幾分の違和感を感じざるを得ないことも事実です。しかし、このような割り切れなさをもっとも感じているのは、おそらく「サイエンスライター」が本業の著者自身であると思われます。そのぎりぎりの境界線に突撃を繰り出す本書は、その意味でとても共感できる記述にあふれたものでした。