サイモン・シン:暗号解読 上・下
- 作者: サイモンシン,Simon Singh,青木薫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/06/28
- メディア: 文庫
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「フェルマーの最終定理」がとんでもなく面白かったので、急いで読んでみた本書、期待にそぐわずとても読み応えのある、そしてとても物語として読ませるものでした。「フェルマー」でも感じたのだけれど、筆者は基本的にはとても論理的で、また先端的な事柄を、その難解さをまったく感じさせることなく、とても簡明なことばで解説してゆきます。おそらく暗号についても、とても技術的な事柄が書かれていると思われるのですが、そういったややこしさをまったく感じさせない書きぶりは、見事の一言に尽きるように思います。
暗号の歴史をひもとく前半は、なかなかグロテスクな描写も散見されます。例えばエリザベス女王に対する暗殺計画に荷担し断頭台に送られたスコットランド女王メアリーや、それに連座して死刑となった貴族の顛末など、中世のこととしてはありふれたはなしなのかもしれませんが、なんとも言えない陰惨なエピソードが描き出されます。ここで面白いのは、これが歴史の教科書であればああ、そんなものか、と思うだけかも知れないのですが、著者はこのエピソードを「暗号」という一つの視点によって語ることで、これらのできごとをたんなる歴史の一幕としてではなく、極めて現実感を持ち、また現在の生活につながる何かとして提示することにあります。
かくのごとく、本書の前半は「暗号」というキーワードをもとに、「歴史」を読み直す一連の手続き、または歴史のある種の読み直しと言えます。それが俄然面白くなってくるのは、これが特にコンピュータ技術が発達した現在においてどのような展開を見せるのかを解き明かす後半の記述が、まさに現在僕たちが直面している状況に直接的に関係しているからだと思われます。
歴史的な文脈の中では、暗号は「暗号制作者」と「暗号解読者」の、自然淘汰的ともいえる競い合いによって発達してきたものだと著者は解説します。それが、コンピュータの発達によって劇的に「暗号制作者」優位の時代になります。そして、その鍵を握るのが素数であり、「公開鍵」の概念です。この考え方はなんとなく聞いたことはあったのだけれど、まったく実感を持って理解をできずにいたものでした。本書は、これを物語の一節として語るためか、なんだかとてもわかったような気にさせてくれます。おそらくそいれは幻想かとは思いますが、それでもわかった気分になるのは気持ちが良い。
そして、本書は暗号の最前線を紹介し、その解読の不可能さが結果としてもたらす一つの問題、すなわち暗号技術は万人に開放されるべきか、それとも安全保障的な問題から「国家」の管理下にあるべきか、ということに踏み込みます。この意味において、先日読んだ福田和代氏の「プロメテウス・トリック」のアイディアが、初めて理解できたように思います。このような、技術と歴史を語る中から、いつのまにか現在的な問題系をわかりやすく説明しているサイモン・シンの書き手としての力強さには、またしてもすっかり魅了されてしまいました。
とにかく、普通に書けば味も素っ気もなくなるのではと思われる「暗号」の世界を、主に一人一人の技術者に着目し、まるで映画の登場人物のように描き出す手法は、どんな物語でもドラマティックにしてしまうのではないかと思われるものがあります。また、「暗号」という、軍事機密に関わるが故にその開発者たちは何十年も世間に認知されなかった分野について、著者がこのように描き出すことの意義は、極めて大きいものだと思われます。どんなつまらなく、また世間から注目されない研究でも、がんばってやっていれば誰かが認めてくれる、そんなおそらくまったくの的外れな思いにとらわれ、それでも少し力強く感じさせられてしまう、そんな素敵な一冊(文庫では二冊だけれど)でありました。