福田和代:プロメテウス・トラップ

プロメテウス・トラップ (ハヤカワ・ミステリワールド)

プロメテウス・トラップ (ハヤカワ・ミステリワールド)

MITを故あって中退し、日本の片隅でフリーランスプログラマとして生きる主人公の能條は、ある日怪しい男から違法と思われるクラッキングを依頼される。当然のごとく拒絶したものの、依頼人は極度に粘着質で、あの手この手を使って能條を追い詰めてゆく。仕方なく男の違法なパスポート作成と渡米につきあった能條は、最後の最後に男を出し抜いたと思いきや、事態は思わぬ展開を見せ、否応なしにクラッキング戦争に巻き込まれてゆくことになる。


サイモン・シンに影響されたわけでは無いのですが、あらすじの理系っぽさに惹かれて手に取りました。福田氏といえば「TOKYO BLACKOUT」が最近ではとても高く評価された作家だと思いますが、僕はあまりのめり込むことができませんでした。確かに構成力はもの凄いのだけれど、女性の語り言葉の単調さや物語の予定調和的な雰囲気など、なんだか残念な思いが残る作品に思えました。しかし、本作はまったく違った。これは、とても凄い。


本作は、基本的にはスパイもののサスペンスだと思います。だましているつもりがだまされ、だまされているかと思ったらだましている、そのような、ある種古典的なスパイ物語を現代的な舞台に落とし込むプラットフォームは、当然ながらクラッキング技術、もしくはプログラミングと暗号の技術にあります。この描写がとても新鮮に思えるのは、著者が長年システム・エンジニアの経歴を持つことと直接的に関係しているのは明らかでしょう。


しかし、本書の面白さは、舞台裏的な技術の見せつけではまったく無いところにあります。むしろ、山田正紀氏の小説のような、いくつものトラップが張り巡らされてとても進入が大変なところに、主人公がどのように入り込むのか、まったく説明されない潔さにあります。「この屋敷には幾十ものセキュリティが張り巡らされ、どう考えても進入することができない。しかし、主人公は難なくそれらをのりこえ、お宝のある扉の前に立っていた」みたいな、えーそれは無いでしょ的な勢いの良さが、本書のとても楽しいところに思えます。


また、スパイものと言えば柳広司氏の「ジョーカーゲーム」シリーズが最近では思い浮かぶのですが、本書は舞台を戦中から現代に移し替えた「ジョーカーゲーム」のように思えました。スパイものと言えば誰が誰をだましているのか、真実はどこにあるのか、まったく見えなくなるところにその本質があるように思えるのですが、福田氏はその舞台のありようとサイバーテロリズムの世界を、実に巧みに物語に取り込んでいます。とにかく、なにが真実なのかまったくわからなくなる本書の展開には、最後の最後まで読み手の心を引きつけて離さない、あざといとも感じさせる作劇法の妙を感じます。


実はこの直後にサイモン・シンの「暗号解読」を読んで、ああ、こういう世界かあと思ったのですが、これはいくぶんネタバレでもあるので書けません。とにかく、本書はお薦めの一冊です。