ロバート・B・パーカー:ゴッドウルフの行方

ボストンのとある大学(おそらくタフツ大学かと思われる)で、貴重な中世の写本が盗まれ、学内の反体制弱小組織から身代金(人間ではないが)を要求されるという事件が発生、紹介され事件を担当することになった私立探偵のスペンサーは、当該組織のメンバーである女子大学生とはそこそこ友好な、同じくメンバーの男子大学生とは極めて不愉快な出会いを遂げる。その邂逅から半日と少し経過した深夜、スペンサーはその女子大生から助けを求める電話を受け、彼女の住居に直行すると、そこには銃殺されたとおぼしき男子学生と、薬物の過剰摂取とショック状態で朦朧としつつも、自分がだれかの罠にかけられたことを主張する彼女の姿があった。


書店でぼんやり平積みを眺めていたら、「追悼 ロバート・B・パーカー」なる帯を発見、一冊も読んだことがなかったので、とりあえず手に取ったのが「スペンサーの記念すべきデビュー作!」との本書でした。大扉の裏を見ると、原書での出版は1973年で、もう40年近くも前とのこと。隣にあった同じシリーズの他の作品を見たら、「スペンサーシリーズ記念すべき30作目」とあり、めまいにおそわれるような気がしましたが、それはともかく楽しめたことはまちがいありません。


本作では、スペンサーさんは二つの事件を引き受けます。一つは一連の騒動の発端となった写本の探索作業で、もう一つは殺人事件に巻き込まれた女子大学生の親からの依頼による、彼女を窮地から救い出す作業です。ところが、後者のお仕事を進めるうちに、スペンサーさんはなにか教育的な視点から女子大学生に肩入れするようになります。前者の仕事がどれだけうまくいかなくても、困った若者を助けることがスペンサーさんのもっとも重要な指名と変化してゆきます。なんだか、商売人としては成功しそうもないけれども、この極めて共感できる姿勢にまず本書にのめり込みさせられました。


僕は残念ながらロバート・B・パーカーさんの良い読者ではなくて、本書が初めての作品でした。解説などを読んでいるとどうやら「ハードボイルド」というジャンルに分類されるらしい本書は、しかし僕にはあまりそのような印象を与えませんでした。まず、主人公の造形が極めて柔らかい。というと、なんだかはっきりしない表現ですが、タフガイに見せながらつねに恐れをこころに抱き、口をついて出るのは不必要に上滑った台詞、そして独白調で語られるこころのうちは、本題とまったく関係のない諧謔と皮肉にあふれたものという、どこかマイクル・Z・リューインのそれを思わせる、頼りなくも頑張ってシニカルさを演じながら、駄目人間である自分をはげましはげます、とても人間らしいありかたを感じさせます。


読み進めていけば、主人公はどうもとっても体力的には自身があるらしく、ドアを蹴破ったりたかたか悪人たちを射殺してしまったりするのだけれど、後者の場合助けてあげたはずの人にはあっけなく見捨てられて逃げられてしまい、ずいぶんと長い距離を這って進んで意識を失ってしまうなど、運の悪さもまた格別であります。このあたり、斎藤美奈子氏が喝破した「ハードボイルドは男性版ハーレクインロマンスにほかならない」(確かこんな感じ)の世界を、情けなさというベクトルでもって打破することに成功していると思われる本書は、物語自体の緻密さとテンポの良さとも相まって、極めて質の高い世界を構築しているように思えました。


ところで僕にとっての本書の一番のおもしろみは、主人公の話し言葉の描かれ方にあります。翻訳の時代的な制限もあるとは思うのだけれど、なにかにつけて「〜なのだ」を連発する主人公の台詞には、マッチョな男性像というよりはバカボンのパパを連想させるものがあり、その意味でも本書にはある種の複雑さを感じ取れることができました。色々書いたけど、読後感のさわやかさは格別な本書、読むのが遅すぎたことが残念なような、しかしとても幸せなような、そんな一冊でした(書影はおそらく旧判で、僕の購入したのは新装判です。もうちょっとかっこよい)。