佐々木譲:新宿のありふれた夜

新宿のありふれた夜 (角川文庫)

新宿のありふれた夜 (角川文庫)

歌舞伎町の飲み屋の雇われマスターである主人公の青年は、その飲み屋が閉店するため、最後の夜を常連客に無料の酒と食べ物を振る舞うつもりだった。その仕込み中、若い女性がお店に逃げ込んでくる。腕にけがをしたその女性は、どうやら誰かに追われているらしい。店の外ではヤクザと警察が不穏な動きを見せる中、彼や常連客は彼女の逃亡に手を貸すことを決意する。それは、あまりに壮絶な彼女の遍歴に、強く心をうごかされたからであった。


物語というものは、いろいろな読み方ができればできるほど、僕には興味深く思えます。作者が意図していようがいまいが、そこに厚みと深みを感じさせる、そんな物語が、僕は大好きです。と言いながら、僕が佐々木氏の物語に感じる良さはそれとはまったく逆のもので、作者の力強い物語の世界に、ぐいっと引き込まれるような感覚をとても気持ちよく思っておりました。しかし、本作にはそれとはまったく異なる魅力を感じさせられたのです。


本作の舞台は、解説を読んで類推するに、1980年代初頭から中旬に書けての歌舞伎町です。この年代が僕にはとても重要で、今の歌舞伎町とは異なる、一つの隔絶した世界、そこは本作の主人公のように、なにか訳あって歌舞伎町に逃げ込まざるを得なくなった人々のアジールであり、さまざまな国からの難民が、決して難民認定することのない日本政府の目をかいくぐって生き延びる場所であり、またヤクザが対立とシノギを行う街であり、とにかく今の猥雑ながらも穏やかな歌舞伎町とは異なる世界が描き出されています。この、一つの街の変貌を読み解いてくれる作品として、まず僕には新鮮でした。


もう一つ、本書の重要なモティーフに、上述の東南アジアの政情の混乱に伴う、大量の難民たち、そして彼ら彼女らの苛烈を極めた生き残るための闘いの姿があります。解説を読むに、本書を執筆することとなったきっかけは著者が日本の居住するインドシナ難民に興味を覚えたとのことですが、著者が日本政府の冷徹な難民に対する扱いに憤りを感じたことは、本書からは明らかに感じられてきます。これが、本書を単なる反体制の物語ではなく、むしろ冷静な政治、そしてそれを良しとしてきた「国民」の物語の批判の物語とも感じさせているのです。


その、単なる「反体制」の物語ではあり得ないと言うところが本書のすてきなところだと思うのですが、それはいみじくも、本書の重要な語り手の一人に、現場たたき上げの刑事が採用されるところにもあらわれています。この、警察の内部から描かれる物語は、本書で展開される多くの人々の様々な思いに、まったく異なる側面を導入するという点において、ある意味本書を理解の難しいものにしていると思う。僕にとっては「警察小説」の素晴らしい書き手として認識することから始まった著者への理解は、ここに来てなにか複雑な、多層性を持ったものへと変化するに至りました。そして主人公の歌舞伎町に逃げ込むことになった理由が、その複雑さに輪をかけるのです。


繰り返しますが、いまや「警察小説」の代名詞ともなった著者ですが、このような、若々しいと言えばことばが軽すぎるようにもおもえますが、しかしバブルのさなかに、「難民」をテーマに歌舞伎町でヤクザと警察と反体制的な人々を描ききった作家であったということは、僕にはとても新鮮な思いを与えてくれる一冊でした。そういえば、直木賞受賞はとても嬉しかった。でも、正直遅すぎたのではないかな。おかげさまで、こういった初期の作品が手に取りやすくなったことは、とても有り難いのですが。