ジム・ケリー:水時計

水時計 (創元推理文庫)

水時計 (創元推理文庫)

イギリス東部、湿地帯の町イーリーの氷に覆われた河のなかから、トランクに人が詰まった車が発見される。その二日後に、町のシンボルである大聖堂の屋根に、白骨死体があることがわかる。地元の週刊新聞「クロウ」の記者である主人公のドライデンは、知り合いの警部補に貸しを作るため、この謎めいた事件に謎めいたお抱えタクシー運転手とのめり込んでゆくことになる。


良くできてます。中世的な地理感覚を思い起こさせる湿地帯の町という舞台設定にしろ、謎の自動車事故によって二年以上にわたって昏睡状態にある主人公の妻にしろ、はたまた明るく振る舞うことによって抑鬱的になりがちな気質と太りやすい体質をごまかす同僚の女性にしろ、まあよく練り上げられています。そこで生じる事件はおそらく数十年前の強盗事件に結びついてゆくと思われるのですが、はじめはぼんやりと語られるその事件の、頁を追うごとにみるみると生々しさを発してゆくところが気持ちよい。


物語の始まり方はなにか不思議な感じで、水害に襲われて刻一刻と床上浸水が進行中の家の中で、どうやら男が誰かを待っているらしい。水位がどんどんと上昇する中で、男が「彼」を認めるところでいきなり物語は切り替わり、とつぜん賑やかにデコレートされたタクシーの中で、無口な運転手と新聞記者とおぼしき主人公が狂騒的なやりとりを繰り広げながら、事故現場に急行する場面に転換します。物語は一日を一章として、一週間の主人公のはたらきをまとめたものと目次からは読み取れるのですが、最初の場面が最後の場面のリフレクションだとは、使い古された手法ではありますが気がつきませんでした。


全体として、落ち着いてはいるのだけれども、装ったクールさを演出しない作者の手法には、とても好感を持ちました。もしかしたらそんな気分はぜんぜんないのかも知れませんが、えんえん酒を飲み続ける主人公もいわゆる「ハードボイルド」的なるマッチョな姿からはほど遠く、高所恐怖症と水へのトラウマがつぎつぎにやってくるという、読者としては悪夢のような弱点の持ち主のくせして、ひんぱんに高いところにのぼり、水に近づきます。この情けない感じが、またいいんだ。


この物語は、おそらく3つのエピソードが絡み合って成立しているように読めました。一つは現在進行中の殺人事件、もう一つは未解決のままの過去の強盗事件、そして最後は主人公と主人公の妻のエピソードです。彼女が昏睡状態と陥った原因となった事故の調査報告書は、なぜか警察によって閲覧が禁じられてしまいます。その書類をなんとか手に入れるため、主人公の新聞記者は、刑事さながらの猛働きをする羽目になります。このあたりの物語の作り方も、なかなか渋くて良いのです。


基本的には、あんまり明るくもなければ派手でもない本作ですが、僕はとても良い作品だと思いました。雰囲気としてはウィングフィールドのような自虐的な陰鬱さがありますが、主人公の造形はむしろローレンス・ブロックの描く明るくシニカルな人々のようでもあり、かといって先達たちをよく研究して組み合わせただけでもない。とにかく、物語としての厚みを感じさせられました。