D. M. ディヴァイン:ウォリス家の殺人

ウォリス家の殺人 (創元推理文庫)

ウォリス家の殺人 (創元推理文庫)

地方の大学で歴史学を教える主人公の男性は、ある日幼なじみの妻から夏休み休暇中に彼ら彼女らの館に滞在しないかとの招待を受ける。それには下心があって、主人公の息子と彼ら彼女らの娘が進める結婚話を、なんとでも阻止するための力添えを期待していたのだ。その幼なじみとは、幼い頃に両親を失い主人公の家庭に引き取られてきたという苦労人で、今はベストセラー作家としてメディアでも活躍する成功者なのだが、なぜかここ数年は館にこもりきりで社会との関わりをたってしまっている。招待を受け入れ館を訪れた主人公は、そこで生々しい人々の感情のぶつけ合いにびっくりする暇もなく、その友人が惨殺されるという事件が勃発、誰が犯人かと誰もが思う中、隠されていた事実が次々と明らかになり、ねっとりとした人間関係がこれでもかと暴露されてゆく。


「厄災の紳士」が極めてトリッキーかつある意味での正当派推理小説だったので、迷うことなく本作を手に取りました。本作も、「厄災」に負けず劣らず素敵な作品だと思ったのですが、いみじくも解説に述べられているとおり、続けて読むと幾分構成にに既視感があることは否めなせん。それでも充分楽しめました。


「厄災」に比べると、本作はずいぶんと直球勝負というか、あまり読者を驚かすような構成を持つものではありません。だからといってつまらないかというとそんなことはぜんぜん無くて、むしろオーソドックスな語りのなかに、密度濃く詰め込まれた伏線とさまざまなエピソードの配置の妙は、やっぱり読んでいて圧倒されるものがありました。途中で登場する、主人公の幼なじみの兄のエピソードや、出版社の編集長の言動など、いくつもの点で読者の期待を喚起させ、そして決して気持ちの悪い展開で読者を裏切ることのない作劇法は、やはり筆者の確かな筆力を感じさせるものがあります。


ただ、本作には「厄災」のような、語り手の交替による物語のダイナミックな転換は無く、むしろあまり良い探偵とは言えない主人公の大学教師が、執念をも感じさせる態度でこつこつと幼なじみの過去をひもといてゆく、その極めて地味な作業の密度感に、本作の良さがにじみ出ているように思います。しかも、相変わらずいろんなひとがいろんな過去を持っていて、もう少し凡庸な人生を生きている人はいないのか!ともおもわせるくらいの登場人物たちの描き方は、ディヴァインの物語の作り込みの奥深さを感じさせるという面では、とても読み応えがある一冊でした。


しかししかし、巻末で役者がいみじくも述べているように、確かに作者の作劇法には既視感を感じさせるものがあります。エピソードも、ある一定の形式の中で多少の設定を変えて組み立てられ、それがその場の物語に合わせて組み合わされているのでは、そんな感じを受けてしまうことも否定できません。でも、物語全体の構築の力強さには、それは大して気にならない、とも感じさせられるのです。まあ、水戸黄門や捕物帖系の作品と一緒で、一つのシチュエーションの強さが、物語の密度と深さを担保している、そのような気分で読めば、このような既視感のある設定も、むしろ作品の安定感と完成度を高めることができるのではないか。つまり、結局のところとても楽しく読むことができた一冊でした。