森谷明子:葛野盛衰記

葛野盛衰記

葛野盛衰記

山城国が山背国だったむかし、後の桓武天皇となる山部皇子が気晴らしに訪れた多治比の里には、一族の血筋をたやさぬようにめんめんと勤めてきた女たちがいた。その地を好んだ皇子は、のちにその場所に遷宮を行い、長岡京となづける。しかしその地の北には、やはり一族の血脈を尊ぶ秦の一族がすみ、いくつかの計略をもって長岡京を荒廃させ、平安京へと遷都させることとなる。その300年ののち、今度は平安京でも血なまぐさい出来事が度重なり、都は騒乱を極めるが、その背後にはさまざまな思惑を持った女たちの闘いがあった。このような長岡京平安京とつづく都の歴史を、女たちの思惑と生き様で描ききった物語。


森谷明子氏のデビュー作、「千年の黙 異本源氏物語」は、おそらく探偵小説に分類されるのでしょうが、その穏やかかつ静謐な筆致と、時間の流れを鮮やかに描き出す文章の美しさに、深く感動したことを覚えています。本書は、前作とは違い、長岡京平安京という二つの都での物語を、300年の時間を飛び越えて描いたものですが、やはりそこには、時間を描くことの美しさをぞんぶんに感じさせてくれる物語がありました。


本書は、長岡京遷都前後の多治比の一族が物語の主役となる第一部と、平安京での秦の一族の生き残りを描く第二部の、ふたつの部分からなります。前半では、多治比の一族の栄華と衰退が、長岡京のそれと重ね合わされて語られ、後半では舞台の裏側から天皇たちを動かそうとこころみる秦の一族の希望と絶望が語られます。このふたつの物語は、時代や立場は異なれど、すべて女たちの視点で語られる、という点で、重なり合うように響き渡ります。


ここで描かれる女たちの願いは、ただただ一族の血脈を絶やさぬこと、それはつまり尊いひとびとのこどもを生み育てることのみに集約します。物語全編に漂う、曰く言い難いエロティックな雰囲気は、この女たちの思いを端的にあらわしたものではないか、と思いが至るまで、なにかとても居心地の悪いような、すわりの悪い思いを感じたことは否定できません。しかし、物語の主題が明らかになるにつれ、その直裁にして優雅なこころみに、えもいわれぬ力強さを感じさせられました。


同時に、本書は都についての物語でもあります。長岡京とはどのあたりだったか、歴史と地理がとても苦手な僕にはいまいちぴんとこなくて苦労しましたが、これは都の成り立ちとその幾重にも重なり合った人々の思いを、女たちのまなざしで解説したもの、と捉えることができました。盛者必衰の理をあらわす、と言い捨てることなく、作者はたんねんに都に重ねられたひとびとの思いを描いてゆきます。物語としては、確かにすべては移ろいゆき、いつの世にも確かなるものはないのだという風景が描き出されているように思いますが、ここにはそれでも人が生きてゆくことへの、作者の強い愛着と信頼が、逆に浮かび上がってくる、そんな読後感を感じさせられました。


あと、なんだか面白かったのは、これは斎藤美奈子氏の曰くの「妊娠小説」を女性が書いたらどうなるか、というものとして、僕には読み取れたところです。斉藤氏は「妊娠小説」ということばを、都合良く自己満足的な物語を書き連ねる男どもに対して、痛烈な批判として用いていると思うのですが、本書はむしろ、人を生み血脈を繋げる作業の本質的な豊かさを、女たちの目から通して描いているという意味で、僕には見事な「妊娠小説」に思えました。しかし、こんなにきわどくエロティックな描写を、かくも典雅で美しい物語にして語る作者の筆力には、なにか目を覚まされるようなとぎすまされ方を感じます。僕にはわからない世界があるのだなあと、しみじみ思わされました。