太宰治:奇想と微笑 太宰治傑作選

奇想と微笑―太宰治傑作選 (光文社文庫)

奇想と微笑―太宰治傑作選 (光文社文庫)

あの森見登美彦氏がえらんだ太宰治の短編集。三人のどこか間違ってしまった男たちを描く「ロマネスク」をはじめ、佐渡に行ってつまらなかったことのみを描いた「佐渡」、人の小説をかってに読み込んでさらに書き込んでしまった「女の決闘」など、編者によれば「ヘンテコであること」「愉快であること」に主眼を置いて選ばれたもの。


太宰治と言えば、「走れメロス」には虫酸が走り、確か中学の国語の時間に読まされた「富嶽百景」にはこの世とも思えぬ違和感を感じ、それっきり僕にはあわぬ作家と思ってこのかた20年ほど暮らしていたのですが、森見氏の「新釈 走れメロス」での後書きで、太宰治の「走れメロス」の、楽しくて楽しくてたまらないと言った躍動感にたいする絶賛のことばを読んで感じた少しの違和感が、本書を書店で見たときに思い出され、森見氏が選んだものならばと思い購入、そして驚愕したのです。おもしろい!


はじめの数編は、おもしろいのだけれどなにかじとじとして、技巧的なのだけれど自己顕示的すぎるところが鼻につく、それほど僕の太宰観をゆさぶるものではありませんでした。しかし、「カチカチ山」を通過したあたりから、ぐいぐいと僕は本書にひきこまれてゆくことになります。なにか、ここには単なる自己顕示的な技巧の世界だけではない、ものすごい物語のちからがある、そう思いながら「服装に就いて」や「酒の追憶」を読んでいた僕は、なんとも言えないとしか言いようのない「佐渡」ですっかり肩の力が抜ける思いをさせられ、つづく「ロマネスク」では勢いよく作家の世界に掴みこまれる、そんな劇的な感覚に、楽しくて楽しくてたまらなくなってしまいました。


今回読んでいて痛感させられたのは、太宰治の小説は、その文章にこそちからが込められているということです。あらすじなんてどうでもよくて、その明るく軽い自虐的で暴力的な、そしてリズミカルで走るがごとく、めんめんと続けられる息の長すぎる文章。これが、職人芸だけの世界であれば石川順の歴史物のような、そして描写のきらびやかさだけならば谷崎潤一郎のような、そしてそして自虐的なだけであれば永井荷風のような物語に修練するのだろうけれど、そのすべてをつかみ取って、面白さだけでまとめあげた、そんな痛快な感覚を感じさせられました。


面白いのは、特に自分のことを描いているとしか思えない数編において、自分は太宰を読んでいるのか、それとも森見氏の文章を読んでいるのか、よく分からなくなるところです。その痛切な自虐性とあいまって、飛び跳ねるような、つんのめりつつも転がり続ける文章は、どこか共通したものを感じざるを得ません。特に、最後に収録された「走れメロス」を読んで、ああ、これが「走れメロス」の太宰バージョンかと思っている自分に、森見氏の陰湿なる悪意にも受け取れる卓越した文章の才を、見事に発見させられたような気がしました。