マイケル・シェイボン:シャーロック・ホームズ最後の解決

シャーロック・ホームズ最後の解決 (新潮文庫)

シャーロック・ホームズ最後の解決 (新潮文庫)

探偵家業を引退してイングランド南部で養蜂業を営む御年89才のホームズは、ある日肩にオウムを乗せた少年に出会う。どうやら言語障害を持ち、しかもドイツ系ユダヤ人の彼は、ホームズのこころになにか大きな印象を与える。そんななか、彼が身を寄せる下宿屋で殺人事件が発生、それにともないオウムが失踪してしまう。少年のためにオウムを探すことを決意した老人は、何十年ぶりかに探偵業を再開する。


ユダヤ警官同盟」で度肝をぬかれたシェイボンですが、本作はそれほどの前衛さは感じられないものの、しつこいくらいに練り込まれた文章の中に、なにか清明とした叙情性を感じさせる、とても素敵な一冊でした。


まず主人公が、田舎で淡々と養蜂を営みながらどのように自分は死んでゆくのかと、無の境地に達せられないホームズさんであるところが面白いのです。決して生に執着しているわけでは無いのだけれども、89才まで長生きしてしまい、しかも時代は第二次世界大戦の末期で、壊滅したロンドンを目の当たりにしてしまうと、ホームズらしからぬ寂寞とした思いに駆られてしまうところの描写など、しみじみと感じ入るものがあります。


物語自体は、ホームズのパスティーシュという形式に分類されると思われますが、僕のおぼろげなる記憶からすると、コナン・ドイルのホームズ物語とはまったく趣を異にするものです。ドイルの描くホームズは、とにかくきてれつな変人で自己顕示欲と思いこみが激しく、なによりも描かれ方がワトソンという神の語り手からみた登場人物の一人という形式だったと思うのですが、本作は三人称的な語り口ではあるものの、ホームズの内省的な自分への問いかけによって構成されています。ここでは、あの高慢でいけいけのホームズ像は影を潜め、むしろ迫り来る「死」に直面しながらもどこかとまどいを感じる、そんな極めて「人間的」なホームズが描き出されています。


作者はホームズ物語の短編「ボヘミアの醜聞」を10才の時に読んで大きな衝撃を受けた、と後書きにありますが、これも僕にはとても興味深かった。僕の場合はルブランのルパンシリーズが耽読への第一歩でしたが、やはり幼少期に影響を受けた作品を、自分のものとしてリプロダクトしてみたいという欲望は力強いものがあり、本作に一本ぴしりとした背骨のような潔さを感じるのは、その性ではないかと思われます。表題や後書きには本作とユダヤ人の物語、特にホロコーストへの関係が見て取れるのですが、僕にはそれほどその関係が本作に影響を与えているとは思いませんでした。この作家は、何を書いてもおそらくユダヤ的なるものから離れることはできないのです。その程度の影響関係であって、むしろここには戦争末期のイギリスと、老境を迎えたホームズという、二つの要素の関わり合いの方が印象深く描かれているように思えました。