アルトーゥル・ペレス・レベルテ:戦場の画家

戦場の画家 (集英社文庫)

戦場の画家 (集英社文庫)

もともと戦場カメラマンだった主人公は、ある日塔ににこもって戦場の絵を描き続ける。そんなとき、ボスニア・ヘルツゴヴィナ紛争の折、主人公にその姿を撮影された元兵士が、主人公を殺すためにやってくる。


このひと、「フランドルの呪い画」で凄いなあとおもったのだけれど、これは間違いなく本物だ!と思わされたのが、本作品であります。おそらく本書を読めば分かるだろうけれども、本書の主題はなぜ人間はここまで非人道的になることができるのか、そしてなぜその状況を受容できてしまうことができるのか、ということにあります。全体的に、もと兵士のおじさんと、元戦場カメラマンのおじさんの会話で構成される本書だけれど、まずことばの世界が美しい。くわえて、一行たりとも読み過ごせないような雰囲気、それは、言葉の美しさとは別の次元で、こころに訴えかけるもの、そんな気がしてなりません。


物語は、その扱う世界の凄惨さとは対照的に、緩やかに淡々と進んでゆきます。田舎ののどかな風景、遊覧船のアナウンスで聞こえる女性の声、立ち寄ってはビールをのんでゆく警官たち。そのような穏やかな環境のなかで、塔にこもって制作を続ける画家の前に、突然見知らぬ男がやってきます。彼は、元カメラマンが撮影した写真のために、人生に取り返しのつかない出来事を生じさせられてしまい、その「復讐」にやってくるのです。

といっても突然アクションシーンがはじまるわけではまるでなくて、ここから延々と二人の会話と、それによって引き起こされる回想が続きます。そのなかで、戦場カメラマンだった当時、元カメラマンが行動を共にしていた一人の女性が、物語の重要な要素を担うことになってゆきます。この女性は、ある意味カメラマンの導きの糸でもあり、また決してたどり着くことのない地平を象徴しているともいえるのですが、彼と彼女が遭遇した決定的な瞬間に向かって、ものがたりは積み上げられてゆくことになります。本書が、決してたんなる陰鬱かつ形而上学的文章の羅列に陥らないのは、この巧みに練り上げられた構成によるものでしょう。

面白いのは、二人の会話がどこに向かっているのか、さっぱり分からないところです。この人たちは、いったい何をしゃべっているのか本当にわかっているのかなあ、とつねに考えさせられ続けながら読み進めてゆくと、しかしじわじわと著者の思いが伝わってくる、おそらくこれは対話という形式の持つ、大きな力強さなんだろうなあと考えさせられました。しかし、久しぶりにきちんとした読書をしたように思います。