須賀敦子:ミラノ 霧の風景

ミラノ霧の風景 (白水Uブックス)

ミラノ霧の風景 (白水Uブックス)

ミラノの霧がどれだけ深いか、「バンコ」と呼ばれる霧の「土手」の描写が印象深い表題作に始まる、筆者のイタリア生活を様々な角度から切り取った短篇集。


ようやく、須賀さんの初めてのエッセイ集に辿り着きました。「塩一トンの読書」から、どちらかといえば後期の作品集を読んできただけあって、この(最近になって知ったのですが)あまりにも有名な出世作を読むことになにか気後れのようなものを感じていたのですが、そんな思いは読み進むにつれさっぱりと蒸発し、なかなか表現のしづらい、このゆたかなことばの世界に、またしても夢のような、ゆったりとした時間を感じさせられました。


本書は、面白いことにある種須賀敦子さんの作品の集大成のようなおもむきを持つように思います。ミラノの生活はもちろん、夫であったペッピーノについて、そしてその鉄道員の家族としての暮らしの描写や、「コルシア書店」で語られるガッティの生きて死にゆく姿、いっぽうで、ミラノのゴシップを描くカミッラ・チェエルナの文章を通じて描かれる社交界ウンベルト・サバの愛したトリエステの街なみ、そしてベネツィアのさえずるような人々のしゃべり方とその「舞台性」など、その後の作品群で語られることのほとんどのエッセンスが感じられるように思います。


収録された短篇たちは、どれもこれもとても素敵な肌触りを感じさせるのだけれども、僕がもっとも印象深かった、というよりは衝撃をうけたのは、「マリア・ボットーニの長い旅」と題された一篇でした。著者が40日の船旅を終えて始めてジェノワに降り立ったとき、共通の友人を通して紹介されたパリまでの列車への駅へ案内してくれたことを皮切りに、マリアと著者はある時は極めて近しく、またある時は疎遠となりつつも、ゆっくりとした心のつながりをはぐくんでゆきます。著者に決定的な転機を与えることになるコルシア書店も、マリアの紹介によるものです。しかし、マリアは自分のはなしをほとんどしようとしてくれない。マリアが自宅へ著者を始めて招待したのも、著者が日本に帰ることになった時という徹底ぶりです。


そんなマリアが、老境を迎え世界を周遊する旅にでることになり、その足で日本に滞在したい、ついては自宅に泊めて欲しいと須賀さんは頼まれます。快く引き受けたは良いものの、マリアはなぜかほとんど外出しようとせず、須賀邸にとどまり続けます。そのような状況に、なにか居心地の悪いいらだちのような気分を須賀さんが感じ始めたその時、マリアはそれまでの自分の道のりを、突如語り出すのです。戦争中に知らずにレジスタンスを匿いドイツの収容所に入れられたこと、どうにか生き延びフランスに辿り着き、それから劇的な祖国への帰還を果たしたこと、そして思いも寄らぬ偶然で大統領の専用機でローマへと向かったこと、そのときに大事にもちかえったパリ製の華やいだ素敵な帽子は、その後ぼろになったからあっさり捨てたこと。僕にはこのような大きな流れを受け入れ、淡々と生きながらその中にきらめく瞬間を見つけて行くこと、それが僕が須賀さんの文章に感じる大いなる安らぎのもとだと思っていたのですが、ここにきてその原点を見たように思いました。そのときの心の様を描いた須賀さんの文章は、また心に響くものがあるのです。


「夜がふけてゆく私の部屋の花柄のソファに、私はマリアの話が染みついてほしいと思った。マリアがドイツの収容所で死んでいたら、私は夫にも会わなかったかも知れない。イタリアに行かないで、どこか他の国に行っていたかも知れない。しかも、私の個人的ないくつかの選択のかなめのよう、偶然のようにしてずっといてくれたマリアが、同時に二十世紀のイタリアの歴史的な時間や人たちに、こんなに緊密に、しかもまったく無名でつながっているという事実は、かぎりなく私を感動させた。そんなマリアが、なんでもない顔をして私のとなりにすわっていた。」