須賀敦子:トリエステの坂道

トリエステの坂道 (新潮文庫)

トリエステの坂道 (新潮文庫)

須賀敦子が、サバという詩人が愛し住んだトリエステの街を、たった一日訪れる表題作に始まる短篇集。


年末に実家に戻ったときに、目につく限りの須賀敦子さんの本を持ち帰ってきました。その一冊目がこれ。母は僕が須賀敦子さんを知ってその文章の素晴らしさをしゃべったとき、「私なんてトリエステまで行ったのよ」と彼女らしくもなく自慢げに話していましたが、確かにこの文章を読むとトリエステに行きたくなります。じつのところ、須賀さんが出合ったトリエステと、サバの親族が経営している書店は、なにかよそよそしい雰囲気をまとうのだけれど、須賀さんの、エッセイ調に語られたことばはいつのまにか幻想的な世界に読者を誘い込み、想像上のトリエステがしっとりと、なおかつきらびやかに語られる様には、ことばの持つ魔法のようななにかを感じざるを得ません。


一方で本書の面白いところは、ある種叙情的で典雅な物語は冒頭の表題作に現れるものだけであり、それ以降の物語は、すべて今は亡き夫ペッピーノと暮らした時間や、夫の家族のあれこれ、そして長い期間を通じて語られる、いわゆる「貧しさ」とその周辺にあらわれいでることどもの描写に終始するところだと思います。夫と住むアパートから姑と義理の弟の住む鉄道官舎までのびる35番の市電は、その貧しさと堅苦しさを乗せて本書の至る所に顔を出します。陽気な病院付司祭のルドヴィーゴさんも、イヴァーナのおばあちゃんも市電にのってやってきます。困りもののトーニも鉄道官舎住まいだし、ナタリーナのお兄さんのジュゼッペも市電の車掌です。このように、まったく日常的でない世界が展開される中で、突然1995年にペッピーノの弟アルドがミラノを引き払うことになったなどと、突然現実の世界に物語を接続して行く展開には、また震えるような現実感と、須賀さんの生きてきた二つの世界の大きな断絶を感じさせられ、むしろ物語の幻想性が強く浮き出されるような気さえしました。


でもやっぱりペッピーノ氏を中心とする、ある貧しいイタリアの家族の歴史をつづったとも言える本書の圧巻は、「雨のなかを走る男たち」という一篇にあるように思います。ちょっと変わった性格のトーニは、家族だけでなくいろいろな人に迷惑をかけ、心配をさせる。そんなトーニが花売りを始めたと知った著者は、ペッピーノを連れてトーニに会いに行きます。チャオ、とペッピーノに声をかけられたトーニは嬉しそうに肩をすくめ、小指で握手の代わりをしたあと、ミラノ弁でなにか聞き取れない言葉を叫ぶ。

「雨が激しくなった。ペッピーノが自分の傘をトーニにさしかけると、彼は、いいよ、いいよ、というように頭をふって、手に持ったカーネーションの束を台の上に投げ出し、こちらがあっと思う間もなく、いちもくさんに近くの建物をめがけて走り出した。さよならともいわずに、両手で背広の衿もとをしっかりにぎって。夫といっしょに街を歩いたのも、トーニを見かけたのも、あれが最後だった。」