池澤夏樹:スティル・ライフ

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

不思議な友人を手伝うことになった主人公の幻想的な三ヶ月間を描いた「スティル・ライフ」、高速道路のパーキングエリアで知り合ったスケートの上手なロシア人との交わりを描く「ヤー・チャイカ」の二篇収録。


須賀敦子さんの「本に読まれて」を読んでいたら、なんども池澤夏樹さんの文章が取り上げられている。実は僕は池澤夏樹さんと他の人を取り違えていて、あんまり好きではないんだよなあと思いながら読んでいたら、はっと息を飲むような文章が引用されていました。それが、スティル・ライフの、主人公が冬の海岸で降り積もる雪を見ながら遠くへ思いをはせるシーンで、久しぶりに文章によって世界が揺り動かされるような、衝撃的とも思えるものでした。ちなみに、引用されていたのは以下の部分。


「雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に座っていた。岩が昇り、海の全部が、膨大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りのない上昇の指標でしかなかった。」


こんな文章を見せられて、読まないわけにはいきません。さっそく読んでみたのだけれど、そこにはなにか須賀敦子さんの柔らかくも鋭いまなざしにも似た、決してやわらかすぎることもなく、かといって大袈裟な身振りで物語をかき鳴らすこともない、落ち着いたどきどき感ともいうべき何かに溢れた物語が展開されているのです。「スティル・ライフ」は、この物語はいったい何を描き出しているのか、よくわからないのだけれども、おそらくそれが故に鮮烈なるカタルシスを生み出しているように思います。「ヤー・チャイカ」にかんしては、これもある種茫漠としたはなしなのだけれども、ところどころに差し挟まれる、主人公の娘が描いたとおぼしき童話風のエピソードが、ある親しい人との離別、さらには人が今日から明日へ移り変わり、後ろには昨日が残されているという条理を、淡々と描き出しているように思えました。


面白かったのは、本書の解説がまさに「本に読まれて」に収録された須賀さんの文章だったところで、理由はわからないけれどもなにか気恥ずかしいような気がしてしまいました。その解説は、須賀さんにしてはいくぶん大仰にも思える次のような言葉で締めくくられます。「いま、私は現代の日本がこのように明晰で心優しい作家をもっていることを、ほこらしく思う。」この言葉に付け加えることは何もありませんが、僕が素敵だなあと思った部分を記録として抜き出しておきます。それはまさに須賀さんが引用した部分の直前で、だんだん強くなる雪をみながら主人公の知覚に決定的な変換が起こる場面です。


「見えないガラスの糸が空の上から海の底まで何億本も伸びていて、雪は一片ずつその糸を伝って降りて行く。身体全体の骨と関節が硬化して、印肉が冷えきり、内臓だけが僅かな温かさを保っているようだ。身体を動かしたいと思ったが、我慢した。岩になるためには動いてはいけない。
音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。」


須賀さんといい池澤さんといい、いままで読んでこなかったことが本当に幸せと思える作家に最近であうことができ、楽しくてしかたありません。池澤さんの南国風味溢れる創作を読みながら、この久しぶりに寒い冬を乗り切ろうかと思っています。