河本敏浩:名ばかり大学生 日本型教育制度の終演

名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (光文社新書)

名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (光文社新書)

ゆとり教育」の弊害を指摘する議論を厳しく批判しながら、いわゆる「学力」は教育のあり方などではなく人口と競争率に依存すること、また大学入試とその後の大学教育の現状が、高校以下中学、小学校の教育現場に極めてネガティブな影響を与えていることなどを、痛烈に指摘した一冊。


「名ばかり大学生」というタイトルからして、大学教育における「教育」の不在、そして「大学生」の能力低下を論じるものかと思ったのですが、意外にも本書の主眼はむしろ構造的に大学入学時の「学力」は低下すること、そしてその傾向に大学における教育者たちが無自覚なことを指摘する、極めてまっとうに思える議論にありました。


ぼくの理解した範囲では、まず日本の大学は、言い尽くされたことではありますが門戸を狭く、そして誰でも卒業できるところにあります。これにより、上位の難関大学では絞り込みが行われ、またあまり学生が集まらない大学では、AO入試などによる事実上の無試験入学が行われます。どちらのケースでも大学在学期間中に充分な教育が行われることは珍しいため、著者が「名ばかり大学生」と呼ぶ、極めて学問的な資質に欠けた、また自らで様々な問題を解決する力に欠けた人材が世の中に送り出されることになります。また入学試験で選抜を行うという手法は、高校を卒業したばかりの人々以外を選抜から排除し、結果として大学入学者の平均年齢はOECD平均に比べ著しく低く、社会の流動性と学ぶ機会の選択制を低いものとしてしまいます。


このあたりの主張は僕も基本的には賛成で、いろいろと教育の問題は語られるけれど、大学入試という理不尽な制度は、やっぱりどこかおかしなものがあると、本書を読んで痛感させられました。「勉強」は「競争」のためのものであり、少子化の現在「競争」的要素が希薄になると「勉強」そのものの意義が成立しなくなる、このような著者の指摘は、自分の受験勉強時代を振り返っても、極めて妥当性が高いように思えます。


一方であんまり実感とあわないところもあって、まず一つには今の大学生は勉強します。これは僕が奉職している大学が特殊なのかも知れないし、また僕が卒業した大学の特色かもしれませんが、とにかく大学での勉強はハードでした。いまおもに大学3年生を教えることが多いのだけれど、彼ら・彼女らを見ていると、とても「勉強しない」なんていってられない。実習に実験、授業にレポートなど、僕でさえきついなあと思わされる課題を、一生懸命こなしています。一時期大学の「レジャーランド化」なんてことがいわれていたらしいけど、少なくとも僕が大学生であった1995年以降は、経済状況の悪化もあってみな必死だったように思います。そして、その状況の厳しさは現在もかわりません。


ほかにも細かな点で議論についていけないところがありましたが、でも基本的には著者の意見には大賛成です。大学教員の、自らが果たすべき役割を意識もしないで学生のレベル低下に難癖をつける傾向への批判は、極めて耳の痛いものがありました。制度が問題だとすれば、それは必ず上流に汚染源があるはずです。そんなあたりまえのことを本書は鮮やかに見せつけてくれるものでした。