ジャン=パトリック・マンシェット:愚者が出てくる、城寨が見える(あほがでてくる、おしろが見える)

愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)

愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)

突然精神病院からある大富豪に引き取られた主人公の娘は、かれの甥の世話係を言いつけられる。ところがその大富豪には敵がいるらしく、自宅に着く早々暴力沙汰が勃発、不穏な空気がたちこめる。そんななか、甥を散歩に連れ出した娘は営利誘拐に巻き込まれ、そこから異常な暴力性を発揮し多くの人々を虐殺と混乱の海にたたき込みながら逃げ回るはなし。


とにかくよくわからないタイトルに惹かれ購入した一冊ですが、これが大当たり。光文社の「古典新訳」文庫ですから、中条省平氏の手にかかる訳文が素晴らしいのは当然として、はじめは茫洋としたタイトルが想像させる不条理劇かと思わせるような展開を見せる本書において、意外にも物語はたちどころに骨格を獲得し、すべての登場人物が性格破綻者という素敵な設定の中で、これまた極めて凶暴な主人公の女性が、それでも世話をまかされた甥にだけは極めて優しいまなざしを保ちながら、人々を虐殺しつつ殺し屋から逃げ回る展開に、一気に駆け抜けるような爽快感とともに読みとおしてしまったのです。


しかし、冒頭のシーンから殺し屋が標的を惨殺するシーンからはじまる本書は、全篇にわたり暴力と殺人に満ちあふれるという、内容的にはなんとも陰鬱たる物語であることも確かです。ところが読んでみての感想は、それほどグロテスクなものではなくて、むしろ爽快感にあふれ、おまけにある種のカタルシスさえ感じてしまうという、不思議なものがありました。これは、徹底して登場人物の内面を描くことなく展開する語り口のクールさによるところが多いとは思うのですが、決定的には完全に壊れた主人公の女性の、それでも縁あって逃避行をする羽目になった一人の少年を守りきるぞという思いが、ありえないくらいに過激な行動のなかに強烈に響き渡るからではないのかなあ。こんな爽快で痛快なノワール小説を読んだのも、はじめてのことです。中条氏の強烈かつ鮮烈な新訳には、ただただ頭を垂れるのみ。