柳広司:新世界

新世界 (角川文庫)

新世界 (角川文庫)

第二次世界大戦の終了間際、世界各地からロスアラモスに集められたノーベル賞クラスの科学者たちは、オッペンハイマー所長のもと原爆の開発に没頭していた。そしてついに原爆が完成し、その使用の直後訪れた終戦の夜、科学者たちは祝杯をあげ、馬鹿騒ぎを始める。そのなかである科学者が怪我を負い入院するのだが、次の朝かれのベッドには違う男の死体が発見された。この事件の謎を解くことをオッペンハイマーに要請された主人公のイザドアは、原爆にとりつかれた科学者や軍人たちといつしか不条理な世界に足を踏み入れてゆく。


出だしからして不思議な話で、柳氏とおぼしき人物のところに片言の日本語を遣う外国人が、オッペンハイマーが書いたとする小説を売り込みにくるところから始まります。聞けば、それはオッペンハイマーが、他人の視点から自分を描いた小説だという。その「新世界」と題された小説が上記のはなしなのだけれども、これがまたなんともいえない不思議さに満ちあふれています。まず、主人公がいかなる人間なのか、文章からはほとんど伝わってきません。その、まるで幽霊のような人間の一人称で語られるオッペンハイマーやそれ以外のひとびとの姿も、これもなにか幽霊のように茫漠としています。


本書の主題は、表題のごとく「新世界」にあります。それは、ある意味では「原爆」という、劇的に暴力的な武器を持ってしまった世界を指し示すとおもいますが、一方でそれでも世界は変わらない、つまり、人を殺す技術を極め続けるという、不条理な「新世界」を表しているように思います。その不条理さを一身に背負うのはオッペンハイマーなのですが、柳氏は幽霊のような主人公に「ヒロシマ」の悪夢をみせることで、その不条理さを読者ののどもとまで突きつけているように思えました。


正直言ってものすごく面白い本なのだけれど、いっぽうでここまで「ヒロシマ」に入り込んでしまった著者の気迫に、言葉を失うような気持ちに襲われることもまた確かです。柳氏といえば、史実をもとにしたミステリーのなかに、真実の多様性や虚構性をまざまざと描き出す、卓越した書き手だと思うのですが、本書はその卓越さがあまりにも発揮されてしまったため、その鋭さが文章だけでなく読み手をも切り裂くような、そんな感覚さえ覚えました。最近の「ジョーカー・ゲーム」のような、ある意味エンターテイメント色を強く打ち出した方向に柳氏が転じたと思うぼくは、本書の著者に与えた影響があまりにも大きかったからなのではないか、そんな気分にとらわれてしまいました。